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宇都宮は冬の快晴であった。だが日光連山は雪雲に包まれていて見えない。山は雪であろう。私、はこれからその雪の中にはいっていくのだ。
日光宇都宮道路を今市で降り、鬼怒川道路を走る。鬼怒川温泉を過ぎる頃から道路の端にちらほらと雪が見えはじめ、川治温泉の手前の川治ダムの下あたりにくるとあたり一面雪景色である。わずか二時間とちょっとしか走っていないのに、景色は劇的に変わった。それとともに運転には細心の注意が必要である。
急勾配の山道を登り、トンネルをくぐると、そこは雪国だった。降る雪が、貯水池に吸い込まれていく。冬の黒い水がたまっている。ダムサイトから谷合いの細いところまで、水は染み入るようにつづいている。栗山村は鬼怒川の源流域と、その支流の湯西川に沿ってひろがる、山また山の集落である。
栗山村日蔭はその名のとおり山の陰にあり、日当たりの悪い集落なのだそうだ。住んでいると、山や川の具合で環境は微妙に違うのだろう。日向という集落もある。栗山村役場は日蔭の集落にある。私がいつたのは一月四日で、仕事始めの日である。かつて役所の仕事始めといえば顔を出して新年のあいさつをするくらいだったが、この頃では午後五時まで通常勤務をする。役所の建物の中では人がいっばいいて、仕事をしていた。その建物も、すっかり雪に埋まっているのだった。
栗山村の温泉といえば、湯西川温泉と川俣温泉である昔から有名な温泉なのだが、最近では村が積極的にボーリングをする。千メートルから千五百メートルも掘ると、温泉がでてくる。奥鬼怒温泉郷の加仁湯、手白沢温泉、日光沢温泉、八丁の湯ばかりでなく、各集落に温泉かできたのである。しかも、泉質がそれぞれに違う。温泉を水道のように各戸に引いている集落もあるのだが、上栗山の集落は住民の総意で共同浴陽だけにした。温泉の質は鉄分が多く、温泉を家に引くと設備を全部つくりかえなければならない。老人が多いので経済の負担にも耐えられない家があるので、みんなが集まれる公民館のような共同浴場を村がつくった。住民は一日に何度はいろうと無料だが、外部の人間も五百円で湯につかることができる。
上栗山には栃木銘木百選に選ばれた平家杉がある。樹齢七百年、高さ三十三メートルの、堂々たる古木だ。伝えるところによると、平家の落人が家の再興を願って杉を植えた。再興がかなわぬうちは実をつけないようにと祈ったため、今もって実はならないそうだ。別名、子なし杉ともいわれる。平家滅亡して、およそ百年後に植えたことになる。樹の生命の偉大さに、改めて圧倒される。
上栗山の集落は、山と山との間の平地にしがみつくようにしてある。家のならび方からしてわかるのだが、この集落の人はみんな仲が良さそうである。
雪道を歩いていたおばあさんが、突然転んだ。私が駆け寄ろうとすると、おばあさんは一人で素早く起き上がっていう。
「慣れてるから、大丈夫だよ」
おばあさんは手提け袋を持ち、共同湯の建物にはいっていく。手提げ袋の中には、入浴の道具と、漬け物がはいっている。
このあたりの家には、たいてい漬け物小屋がある。おばあさんはほぽ全員が漬け物の名人で、自分の味がある。その自分の味を基本にして、お互いに学びあい、新しい漬け物を研究する。その情報交換の場が、共同湯なのである。
共同湯の管理は老人会が当番であたっている。早い話が、よそからきた人より入浴科をとる係である。当番でない人も、いつもストーアの前に人がいて、お茶を飲んでいる。茶を飲みすぎると茶腹になるので、持ち寄った清け物を食べる。おいしい漬け物の漬け方も、惜しみなく教える。故争しながら、みんなの腕が上がっていく。
風呂にいった私もさっそく茶飲みの輪に引っばられ、たくわんをかじり、昔話を開くことになる。
昭和四十年頃まで、冬は村の多くの人が炭焼きをしていた。営林薯で雑木林の払下げをして、みんなで境界を決め、山にはいったそうだ。家族が多くてたくさん炭を焼かねばならない人は、割り当ての分のほかにも他人の割り当て分を買った、最初は近くの山に炭窯をつくるのだが、だんだん遠くなって、二時間も歩かなはれば現場に着くことができないようになった。
「わしはな、四俵かついだよ。女の人は三俵かつげば一人前といわれたけど、わしは男の人に負けないで四俵かついだ」
炭俵一俵は約十五キロだ。四俵は三十キロ、これを険しい山の斜面をものともせずにかついでくるのだ。三十キロはきつい。やがて土そりというものができたのだが、下る時に
勢いがついて危険だったそうだ。
「ちっちゃい頃は、母が俵をつくりはじめるのがいやだつたな。一段落つくまでやめねえんだもの。ワラはよそから買ってくる。ワラで縄を寄って、ススキで織っていく。どこの家でもやってたよ」
炭俵は私などには懐かしいものである。ススキで編んだ炭俵は四角形で、上下は木の枝でふさいであり、ワラ縄でとめてある。中には木炭がびっしりとはいっていた。木の枝はもちろん伐探した木のうち木炭にならない部分だ。これを七輪の焚きつけにして、炭をおこしたのだった。今の年寄りがいなくなったら、山の産業の伝承も跡切れてしまうだろう。
炭焼きや炭を使ったことさえ、もう老人たちの記憶の中にしかないのだ。
温泉にはいった。黒っぼく錆びたような湯は、いい香りだった。鉄分のため、身体が芯からあたたまる。
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