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ソバが収穫されたから食べにくるようにと、字都宮市の清原南部明るいむらづくり推進会議会長の岡本芳明さんにいわれた。その日私は下野新開の新春しもつけ文芸短稿小説の選考会にでることになっていたので、頑張って少し早い新幹線に乗ってきた。宇都宮駅には岡本さんの日焼けした笑顔があった。
清原南部でソバづくりがなされるのには、理由がある。土地改良事業にともない、約十一ヘクタールの都市計画道路用地が生まれる。清原工業囲地と真岡とを結ぷ「鬼怒テクノ通り」用の土地で、すでに四ヘクタールが確保された。それだけ広い土地を遊休地にしておけば雑草が繁り、火災などの心配がある。そこで工事がはじまろまで、ソバ栽培をすることになったのだ。
「鬼怒テクノ通り」ができたら、若手農業者の集まりである清原南部明るいむらづくり推進会議が中心となり、農村レストランや農産物加工所の整備、農産物直売所の経営拡大をはかる計画だ。もともと清原地区はすぐれた農業地域なのであるが、岡本さんたちはやる気まんまんなのである。
前年、ソバを蒔く前に私は公民館に呼ばれ、「わっべいちゃんそはの里」という名称を使ってよいかといわれた。愛称とはいえ個人の名前を使うのはいかがなものかと思われたが、断わると角が立つので、まあいいですよといっておいた。
しかし、最初の年はソバづくりに失敗した。岡本さんによると、種を密に蒔きすぎたということである。今年はばらばらに蒔いたからよかったということだ。
収穫祭のおこなわれる氷室町の宇都宮梨農業協同組合集荷場にいって、私は驚いてしまった。なんと私の講演会が開かれることになっていたのだ。そんなことはまったく開いていない。講演会は身体ひとつあればできて、元手もかからないみたいなものではあるが、そのようなものでもないだろう。本当に困るのだ。
しかし、八十人からの人が待っていて、プラスチックのコンテナボックスを逆様にした上に座蒲団を置き、坐ってる。そこは倉庫なので寒かつた。私は四十分間話した。
私のあとは、土地の古老ともいうべき郷土史家による地元の歴史の話だった。籠谷(こもりや)という土地の名の・由来は、山に囲まれた谷がつづくからである。氷室(ひむろ)は大きな氷室をつくつて夏まで氷を保管し、殿様に献上したからである。そんなことを勉強した。
ソバはうまかった。チタケでだしをとった、汁であった。ソバを食べるつもりで私は朝食ぬきできたので、三杯食べてしまった。農業振興事務所の生活指導員の指導により、婦人部の人たちがソバようかんとソバ蒸しようかんをつくってくれていた。これもうまかった。私は満足した。
それから下野新聞社にいくと、同じ選考委員の松本宮生氏がすでにきて応募原稿を読んでいた。さっそく私も会議室の机で読みはじめる。他人の生原稿を読むのはつらい。ペンで書いた原稿など、人の思いが立ち上がってくるかのようだ。今年は気持ちのよい作品があり、松本氏と意見は一致し、困難もなく選考は終わつた。
若林学芸部長や森内副部長、渡辺記者、手島記者と、選考委員と、慣例の忘年会をする。みんな昔から知つている人たちだ。支局にいったり、運動部や整理部にいったりして、また学芸部に戻ってくる。会うたびに少しずつ年をとって、少しずつ偉くなっている。
夜のスナックをあっちこつちと歩き、早乙女哲氏を途中でつかまえ、またスナックにはいった。ついこの間まで早乙女氏は編集局長だったのだが、役員になったのだそうだ。彼とも古い友人で、本質的には何も変わってはいないのである。午前二時まで痛飲す。
この数日、歯が痛かった。ものをよく食べられない。しかもこの夜、歯の銀が剥がれた。いっしょに飲んでいる人に知られると心配をかけるだけで、どうなるわけでもないので剥かれた銀はなくさないようにポケットにいれる。
東武ホテルグランデで歯で痛みをこらえながら、眠ってはすぐに覚めた。ここのところすさまじい忙しさで身体が悲鳴を上げているのがわかっていた。あと数日すれは騒然たる日々は終わるので、しばらくは本なとを読んで日を過ごそうと思う。
朝、友人の印出井歯科に電話をすると、すぐくるようにといわれた。レントゲン写真を撮ってもらつた結果、痛む箇所に虫歯も炎症もないので、過労であろうといわれた。思っ
たとおりなので、妙な話ではあるが安心した。剥がれた銀を貼ってもらい、炎症止めと痛み止めとをもらった。持つべ.きものは友人だ。困った時に助けてくれる。
夕方まで部屋で原稿書きをする。
締切りが過ぎていろ原稿が何本かあった。妻が部屋にはいってきたが、もう少しだからといって原稿書きをつづける。東京から娘や秘書や友人たちが続々と到着する。今夜は居酒屋の宮まつりで私の「遠雷四部作」の出版記念会がある。沼尾や福田や坂本や柳田等高校の同級生たちが中心となり、百人からの人が集まるのである。
「遠雷四部作」は私の作家としての集大成である。この宇都宮で書きはじめられた小説なのだ。親友の福島春樹夫妻も東京からやってきてくれる。私は歯が痛いなどとはいっていられないのだ。しかし、ものは食べられない。酒は飲める。
宮まつりで急いで本に署名をし、落款を押す。そうしている間にも、人はとんどん集まってくる。今夜眠れるのは何時頃だろうかと、私はぼんやり考える。
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