日常的で小さなこと

イラスト横松桃子
 その日、妻は怒って帰ってきた、銀行からの帰りだった。珍しいことなのだが、私の作品「遠雷」がアメリカで翻訳され、その印税が小切手ではいった。その小切手を振り出しにいったのである。
 いつもいく近くの銀行にまずいった。そのあたりは外国人が多く暮らしていて、ドルの扱いにも慣れていると思ったのだ。
「お客様で登録されている××支店にいってください」
 長い行列をつくったあげくに、妻は女子行員に事もなげにいわれてしまった。その行員は処理の仕方がわからず、結局別の支店に投げてしまったのは明らかだった。そこは日本を代表する大銀行で、すべての支店で同等のサ−ビスが受けられるようになっているはずなのだ。しかし、普通のおばさんである妻は、××支店にいった。
 そこはやや大きな支店で、確かに外国為替専門のコーナーがあった。
小切手を男性行員に差し出すと、こんな声が返ってきた。
「ここにサインしてはならないと書いてあるのがわからないですか」
指さされたところを眼鏡かけてよく見ると、DON'T SIGN HEREと確かに書いてはある。薄いインキで印刷され、小さい字で、老眼でなくても見にくい書体、そのいい方が恐ろしく人を蔑視した態度である。その場所にサインしたのは私である。前の頃、妻にいわれてサインした。日本の小切手は必ず裏に署名しなければならない、しかも、サインする場所とはわずかずれているだけである。
「小切手に書いてある名前欄、振込む通帳の名義が違うから、不渡りになるかもしれませんよ」
「それじゃ現金にしてください」
「アメリカの銀行で手続きをしなければなりませんから、三、四週間かかるかもしれませんけど」
こんな会話があって、翌週の月曜日にサインをし直してまた銀行にくるということで、妻は帰ってきた。それから妻は友達と会って少し酒を飲み、私もよそで酒を飲んで夜中に帰った。そこで私は酔った妻から、その日銀行でいかに頭にきたかを話された。辛抱強く聞くのは私のつとめである。
「私がおばさんだから、鼻でせせら笑うように見下した態度なんだから。
ここにDON'T SIGHN HEREと書いてあるでしょうって、馬鹿にしたようにいうのよ。おばさんだから、何もわからないでしょうって態度なのよ。あなたがいったら、絶対あんなふうにはいわないでしょうね」
 妻は本当はもっとくどくて同じことを何度も話したのだが、逆らうと大変なので、うんうんと私は辛抱強く聞く。
「銀行替えちゃうかな」
こんなふうにまで妻はいう。
「小さい銀行や信用金庫は、親切で、あんな態度ではないのよね。新しいことをしようとして銀行にいくと、必ずいやなことがある。銀行にいくのいやだなあ」
 本当に妻は嫌な思いをしたようだ。銀行に通い慣れた妻でさえそうなのだから、たまにいくお年寄りはさぞかし嫌で苦しい思いをしていることだろう。
「あなたがいくより私がいったほうが、銀行では問題ないのよ、でも私はおばさんだから、使い慣れた自動支払い機のところにいくと係の人が必ずやってきてお手伝いしましょうかというの。いえ結構ですつて必ずいわなければならないの、前掛け締めたような格好でいくからで、スーツでも着ていけばいいでしょうよ」
 これまでの嫌な思いをぶつけるようにして、妻は私にいう。私はそれを全部受けとめなければならない。
 おばさんだからいろいろ差別されると妻はいう。そういえば、妻は思い立って一人で旅行にいこうとして、宿をとるためあっちこつち電話をかけたことがあった。主に温泉旅館だった。しかし、女の一人旅だと知ると、すべて断られてしまった。結局よく知っている塩原温泉の和泉屋に泊ったということがあった。
 温泉といえば、先日妻と字都宮に住んでいる母とが鬼怒川温泉にいってきた。鬼怒川で最大の温泉ホテルであった。旅は無事にすんだのだが、帰ってきた妻がいった。
「あんまり大きなホテルは、足の悪いおばあちゃんには無理ね。女性用に使える岩風呂があると書いてあるから、そこにいこうとすると、長い廊下を歩いて、エレベーターに乗って、遠いの。晩御飯はどこそこの部屋で、朝御飯はどこそこの部屋でと、そのたびに長い廊下を歩かなけれげならないの。ホテルにいるだけで、疲れちゃう」
 こんな話をして、妻はなおもこういった。
「部屋にベッドがあったけど、お世話係の人がもしお蒲団がよろしければお敷きしますっていうの、おばあちゃんは蒲団のほうがよいから、お頼みしますっていつたの。晩御飯食べてきて、部屋に帰ったら、まだ敷いてないの。フロントに電話したらすぐ敷きますっていうの。部屋で一時間半待って、まだ敷いてくれない。それでお風呂にいったら、やっと敷
いてくれた」
 この国はこんなに細やかなことが失われてはいなかった。少しばかり前は、もっといたわり深かったのである。経済的に発展して大きくなり、金に目がくらみ、慎み深くて細やかな感情はどんどん失われていった。弱いものには暮らしにくい国になってきたのである。
 妻がいっているのは日常的で小さなことかもしれないが、大きな問題を含んでいる。文句をいいだしたらきりもなくなると思って暮らしている人は、多いだろう。