初版発行:2010年6月1日
発売所:東京書籍株式会社
価 格:1,400円+税
闇の中から怒りが人のかたちに凝縮して湧き上がったとでもいうように、人数は目に見えてどんどん増えていった。それとともに歌声も大きくなり、地上で渦巻いて天に昇っていくかのようである。太鼓や法螺(ほら)貝も鳴っていた。
指揮役は各地の警備の状況を偵察した。
途中、川俣で利根川を渡らねばをらをい。青年決死隊には胸に付ける徽章(きしょう)を配ってある。雲龍寺とその周辺では篝火(かがりび)もいよいよ大きくなり、喧噪(かんそう)をきわめていた。東京では、田中正造代議士が待っていてくださる。
(中略)
命の危険を感じたのか、巡査たちは死にもの狂いになった。争ううち、三名の農民が警察署内にほうり込まれた。
怒った農民たちは署の玄関に殺到し、ドアも割れんばかりになったのであった。
巡査の一人が叫んだ。
「警部長、抜剣命令を」
(本書「川俣事件」より)
初版発行:2010年6月1日
発売所:社団法人家の光協会
価 格:1,600円+税
<本文より>
「良寛さま、毯つきをしましょう」
「良寛さま、隠れんばしましよう」
子供たちは口々にいう。
「よしよし。何をして遊びましょうかな」
良寛は一人一人の子供たちの顔を笑顔で見ていう。
「お前たちといつ会ってもいいように、わしはこれを持ち歩いてるんじゃ」
良寛は袂から手鞠を出した。色の糸で紋様がつくってある美しい鞠だった。
良寛は子供たちがいつもの手毯歌を歌い出すとともに、毯をつく。
良寛がつき損じると、子供が代わってつく。その子が失敗すると、次の子がつく。
そうやって順々に鞠が回されていくのだった。
こうして天真仏たちと遊んでいることが、この世の憂いからも離れ、良寛には心の底から楽しいのである。
…子供たちに昔話をせがまれると、よく良寛は『今昔物語』や「ジャータカ」に出てくる「月の兎」の話をした。いつもいっしょに遊んでいる仲良しの猿と兎と狐のところに、飢えた老人に身をやつした天の神が行って助けてくれと訴える。……
火が燃え上がると、兎は火の中に跳び込んだ。老人に食べてもらうため、我が身を布施したのだ。我が身を捧げる自己犠牲こそが、究極の布施である。天の神も兎がいとおしくて、泣き出してしまったという。天の神は兎の遺骸を抱いて月の宮殿に上がっていったから、月には兎の姿を見ることができる。良寛はこの話を子供たちに向かってしながら、仏教者としてのこの上ない理想を説いていたのである。この「天の兎」に最も近いのが、良寛その人の存在だ。……
[本書より]