寒紅の色

「ほら、私の胸のにおいをかいで。鮎のにおいがするわ」
・・・俵屋に向かって懐を少し押し開くようにして胸を近づけ、その胸を反らしながら、香織は今なら引き返すことができるのにと心の奥で思っていた。(本文より)
初版発行:2008年11月10日
発売所:北國新聞社
価 格:1,619円+税

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南極にいった男

小説・白瀬南極探検隊

あとがき
 国立極地研究所の招きで私が南極を訪れたのは、平成十九(二〇〇七)年一月のことである。自己犠牲もいとわない先人の献身的な努力の結果、昭和基地はまことに快適な研究空間になり、居住空間となっていた。窓の外に氷の海とそこに浮かぶ氷山を眺めた時、沈まない太陽のもとで光が時々刻々と変化する風景は、禅味を帯びた枯山水を思わせ、私は南極山水と私の中だけで命名した。もちろん一般的な通り名ではないが、それほどに精神性を感じさせたのだ。なにより、予想していなかったことだったが、南極の風景はただ非常に美しかった。
 今回の南極への旅にさいし、以前から企図していた小説が頭にあった。明治四十三(一九一〇)年、わずか二百四トンの木造帆船開南丸で南極探検を決行した白瀬矗たち探検隊の物語である。彼らの胆力が私たちの時代から失われて久しい。南極の氷河や氷海などを南極観測船「しらせ」搭載のヘリコプターで案内してもらい、その風景から刺激されて浮かんだ言葉をメモし、写真に撮り、南極山水にしみじみと触れ、取材を重ねるうち、百年前に現代とはくらべものにならない貧弱な装備で南極に立ち向かった白瀬南極探検隊の小説が実感をもって迫ってきた。
 昭和基地の図書室では、かねてより入手を希望していた白瀬南極探検隊の公式記録である『南極記』が目にとまった。大隈重信が序文を書いて南極探検後援会が編纂し、大正二年十二月十五日に刊行され、昭和五十九年九月四日に白瀬南極探検隊を偲ぶ会によって復刻された部厚い本である。この本は昭和基地にしかないものだという思いが私にはあり、ミスプリントの用紙がたくさんあったのでその裏側にコピーをさせてもらった。気合をいれてコピーをしていると、神山孝吉越冬隊長がきておっしゃった。
「あと何部かあるから、持っていっていいですよ」
 白瀬矗の故郷である秋田県にかほ市(旧金浦(このうら)町)の白瀬南極探検隊記念館からは、当時の写真を含め、貴重な資料の提供をいただいた。金浦にいくと、白瀬は今でも生きているかのように尊敬を集めていた。
 とくに今回、白瀬氏と探検隊のご遺族のかたがたにはひとかたならぬご理解とご支援、そして思いもおよばぬ貴重なアドバイスをいただいた。白瀬知和さん、白瀬ゆりさん、『南極探検日記』『南極探検私録』の著者多田恵一氏のご遺族、多田キミ子さん、横地美農里さんである。小説を書こうと発願した私に、たちまち数々の支援が寄せられたのは、白瀬南極探検隊が人の心の中に今も生きているからである。
 本文中のさまざまな挿話、たとえば猫を連れていった人がいたり、釣竿でアポウドリを釣ったこと、「赤道」を見る話や船の上の餅つき、海賊船騒ぎなどの愉快な話も、すべて白瀬本人の著作や『南極記』、多田恵一氏の記録などに残された事実をもとにしている。白瀬南極探検隊の旅は、命を賭けた冒険であり、一見、悲壮感のみがただようように受け取られがちであるが、それだけではなかったようだ。
 今回の仕事も、前回の『道元禅師』と同じく東京書籍の小島岳彦氏と組んだからこそ、こうしてなし得たのである。小島氏の熱心な叱咤激励と協力に感謝する。
 二〇〇八年盛夏 異常ともいうべき猛暑の東京にて
初版発行:平成20年9月5日
発売所:東京書籍株式会社
価 格:1,500円+税

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掌の中の月

光 流れ 救い

・・・両掌で器をつくれば、月光はその中に満ちる。
しかし、つかもうとすれば、指の間からこぼれてしまう。
それでもなおかつ、全体の風景を包んでいる。
地上のすべてを包む月光からは、逃れることができない・・・
(本文より)
初版発行:2008年7月25日
発売所:株式会社サンガ
価 格:850円+税

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百霊峰巡礼・第二集

はじめに
 月刊誌「岳人」に連載をするのだから、毎月一度は必ず山に登る。山歩きは楽しみだが、毎月登らなければならないのは、苦行でもある。雪や雨の日もあり、風の強い日もあるだろう。案内を頼んでいる人もあるし、日程に余裕がないので、決まった日には必ず登る。悪天候をついてでも登る。ここまで一日も怠らずに登りつづけてきたのだった。これが巡礼ということなのである。
 体調が悪かったり、他の仕事で無理がつづいて疲れていたり、前の晩つい酒を飲み過ぎてしまったこともある。何があっても朝になれば、険阻な道を一歩一歩身体を運び上げていく。その時は苦しくても、いつかは必ず山頂に至る。まるで人生のようだといいたいことだが、私が身を以って当たり前に学んだことだ。その一瞬一瞬を耐える。苦しい瞬間はいつまでもつづかない。
 やがてある認識に至るのだ。宇宙につながるこの山で、小さな小さな存在である私も、山を通して宇宙とつながっているのではないか。一分子たる私は当然宇宙を形成する一分子でもある。自分はささやかな一分子であると自覚することが、私にとって霊峰を巡礼することなのだ。ものの大小は絶対的な価値ではない。宇宙をいかに認識するかということに価値がある。
 そんなことを考えながら山を歩いてきた。規則的に足を運ぶという行為は、瞑想なのである。歩きながら私の中には、道元の「正法眼蔵」のうち「現成公案」の巻の、こんな言葉が響いていた。  
 「人がさとりを得るということは、水に月が宿るようなものだ。月は濡れず、水は破れない。月は広く大きな光なのだが、小さな水にも宿り、月の全体も宇宙全体も、草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。さとりが人を破らないことは、月が水に穴をあけないことと同じである。人がさとりのさまたげにならないことは、一滴の露が天の月を写すさまたげにならないと同じことだ」
 歩きながら私が宇宙と感応したところで、宇宙は破れないし、私も破れない。だが小さな一分子たる私は、草の露や宇宙や月を心に写してもその心はなお余りあるように、月全体や宇宙全体を呑むことができるのだ。呑んだところで、私が破れることはない。
 そうではあるのだが、小さな私の小さな小さな心は、いつも迷いに迷っている。苦しい山にはいれば、一刻でも早くそこから逃れて安楽なところに休みたいと願う。早く温泉につかって、美酒を飲み、美味を味わいたいと念じている。煩悩もまた無限大で、いつも私を深い迷いの中に誘い込もうとしている。そんなことを思いながらの百霊峰巡礼だ。日本のすべての山は霊山であるとの思いを深くしている。そのすべての山を深く愛した人がその土地には必ずいる。そんな人といっしょに山に登るのは、その人の精神の中に向かって旅をしていくようで、私には楽しい。
 一つ一つ登って、五十峰を超えた。道の半ばを過ぎ、また一峰一峰登っていくのだが、もう半分も過ぎたのだと思うと、悲しいような気分にもなってくるのである。
 巡礼の友は東京新聞の原田拓哉氏とフリーカメラマンの丸山剛氏である。この二人に支えられて、私は巡礼をつづけてきた。
初版発行:2008年4月30日
発売所:東京新聞出版局
(中日新聞東京本社)

価 格:1,800円+税

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浅 間 ◇ 絵物語

あとがき
 天明三(一七八三)年四月八日(旧暦。新暦では五月九日)に浅間山では、しばらく活発になっていた火山活動が、最大級の噴火を起こした。大火砕流が時速百キロを越す高速で北側斜面を流れ下り、田畑を埋め、人や家畜や家屋を呑み込んで、一帯を泥の海に変えた。ことに被害がひどかったのは、火砕流の直撃を受けた上野(こうずけ)国吾妻(あがつま)郡鎌原(かんばら)村である。人々は逃げる間もなく火砕流に呑み込まれたのだ。
 人口五百九十七人中、死者四百六十六人、生存者九十三人であった。九十三軒の家屋はすべて倒壊し、延命寺の鎌原観音が残った唯一の建物であった。小高い丘の上にある鎌原観音堂に逃れた人が多く助かったという。
 その歴史を素材にした長篇小説『浅間』(二〇〇三年新潮社刊)から、絵物語におこした本である。何故そのようなことをしたかといえば、二〇〇八年二月二十二日(金)から二十五日(月)まで、日本ペンクラブにより世界ペン・フォーラム「災害と文化 − 叫ぶ、生きる、生きなおす」が東京で催され、そこに出品された作品だからである。
 もとより長篇小説で、主人公のゆいをはじめ登場人物はすべて私の創作である。ゆいが養蚕を持ち込んだということもフィクションだ。この作品は、二〇〇三年一月にNHKFM放送でラジオドラマとして放送された。そのオーディオドラマをフォーラムの一環として劇場で公開するためには、どうしても新しい絵が必要である。そこで山中桃子が五十枚の絵を描き、ドラマの展開にあわせて大スクリーンに映し出したのだ。
 一回だけの上演ではあまりにももったいないという声が澎湃(ほうはい)として湧き上がってきたので、絵物語として上梓したしだいである。ドラマのシーンによってシナリオ化されていたのを、私自身が原文の小説にあわせて切り取ったという手の込んだ過程が踏んである。
 あらためて絵物語となった作品を読んでみると、圧倒的暴力である自然災害の悲惨と、打ちのめされてもそこから立ち上がっていこうとする人間の輝きが、凝縮されて描かれていると思えたのであった。子供にも大人にも読める絵物語になったはずである。
 絶望の底にたたき落とされた鎌原村の人たちは、ここに描かれたとおり、生き残った者たちで家族を再構成し、以前とまったく同じ場所に村を再建した。この誇り高き人々を、私たちは忘れてはいけない。災害は今を生きている私たちの身の上にもいつ降りかかるかわからないからだ。
二〇〇八年四月 春めいてきた東京にて
初版発行:2008年5月11日
文:立松和平
絵:山中桃子
装丁:柏艪舎デザイン室
発売所:株式会社柏艪舎
価 格:1,905円+税

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人生いたるところにブッダあり
ーぼくの仏教入門ー

文庫のためのあとがき
入口の門を求めて

 仏教がどこにあるかと探しまわったとしても、どこにもない。仏教は寺の中の秘仏を安置した厨子の中や、坐禅をする僧堂の中だけにあるのではない。台所の流し台にも、庭の片隅に生えた雑草の上にも、雪におおわれた高山の山頂にも、深々とした静寂に包まれた深海の底にも、世界中のどこにでもある。仏法が届かない場所というのはない。もしないと思えたとしたら、感じることができないだけのことである。
 これが根本認識である。だから仏法を求めてきょろきょろまわりを見回すことはない。あっここにあった、あすこにあったと、いちいち指さして示すものでもない。特別のものではなく、私たちの生き方そのものであるからだ。
 そもそもが仏法は私たちの中にあり、私たちこそ仏そのものである。自分を仏と感じるからといって、尊大な態度をとるのは誤りである。仏とはごく普通のことなのだから、当たり前に認識すればよいだけのことだ。それがなかなかできないのが私たちであるから、学道が必要なのである。
 多くの人にあることだろうが、私も仏法を求めてうろついたこともあった。身重の妻を東京の家に残し、ゴムゾウリをはきリュックを担いで、インドの灼熱の大地をうろつきまわった。文庫本の教典をポケットにいれ、ブッダに会いたくて、誕生の地ルンビニや、成道の地ブッダガヤや、初輪法輪の地サルナートや、数々の教典を説いた霊鷲山(りょうじゅさん)や、涅槃の地クシナガルにいった。そこに仏法はあっただろうか。もちろんあったし、ブッダがこの世に確かに存在したという痕跡があった。しかし、そこにいかなければ仏法はないということはない。真理というものは、どこにでも遍在するのだ。
 こうして仏法について書いている私の机の上にも、原稿用紙の枡目にも、ペン先にも、森羅万象は流れ、森羅万象の流れを結ぶ真理はあまねく存在するのである。
「生きるということは、たとえば人が舟に乗っている時のようなものである。自分が帆をあやつり、自分が舵をとり、自分が棹をさしているといっても、舟が自分を乗せ舟に乗っている自分以外の自分はない。自分が舟に乗ったからには、自分の身心(しんじん)および、そのまわりのものすべてが舟の世界となり、全大地も、全宇宙も、すべてが舟をめぐる世界となるのである」
 道元「正法眼蔵」の一節を、私自身がわかるように現代語に直した。仏教は唯心論であるから、私が仏となれば、仏の目で世界を見ていることになる。
 こうして道元はずばりといってのけるのだが、この確信に満ちた道元の言葉に出会う以前、私は仏法を求めて遍歴を重ねてきたことを告白しよう。各地や書物の中を放浪し、自分が生きる場所を懸命に探していた。道を求めて懸命に歩きながら、その探究の結果を友人に向かって息せき切って語り、その言葉を記録したのが本書である。その道筋がこうしてありありと残っているのだ。
 どこにでもある仏法を、私は懸命に探し求めていたのだと、改めて告白しなければならない。探して発見したのではなく、私の言葉がようやくとらえることができたわずかなものを、必死のおももちで語ってきたのだ。私とすればそこからはいっていくよりは仕方がなかったのであり、未熟かもしれないのだが、未熟の部分を通ってこなければどこにもいくことはできなかったのだ。一歩一歩歩いていくしかない私たちの人生とは、そのようなものであるのだろう。つまり、本書は入門書であるが、私が人を導こうというのではなく、私自身が入口の門を探しているという意味なのだ。
 私には思い出すことがある。私は中学生で、林間学校のキャンプを日光霧降高原でしていた。月の美しい晩で、降りそそぐ月光で何もかもが濡れているように見えた。あまりの美しさに茫然とした私は、思わず知らずその月光を掴もうと地面に向かって指を伸ばしていったのだ。無意識の行動であった。
 次の瞬間、私の中指に激痛が走った。地面に跳ね返され、私は突き指をしていたのだ。咄嗟に私が認識したのは、月光は掴めないということだ。掌で器をつくればその中に月光は満ちるが、掴もうとすれば、すべて指の間からこぼれ落ちる。一滴も掴まえることはできない。
 仏法とは、この手で握ることはできない。しかし、私たちは皓々と照る月光の中で濡れたようになって立ちすくみ、結局のところ月光の外にでることはできないのである。しかも、月光はあるのかないのかわからず、太陽のように強く激しく存在を主張することもない。仏法はこの月光のようなものなのである。
 月光を掴もうとして伸ばしていったその指が、仏教をどうにかして語ろうとした本書なのだと私は思う。やがて突き指をするのだが、指を伸ばさなければ突き指も何もしない。その時、私は仏法とは何かと言葉で掴もうとして、それなりに一生懸命だったのだ。この一生懸命さを通り過ぎなければ何処にもいけないのだと、今ならはっきりといえるのである。
 精一杯真剣だった自分が見えるのだ。
 二〇〇七年十一月
初版発行:2008年1月10日
発売所:ゴマブックス株式会社
価 格:619円+税
HP:http://www.goma-books.com

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