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あとがき
本書は月刊誌『ぴっばら』(全国青少年教化協議会刊)に、「菩提樹の下に咲く花」として連載したものである。タイトルを 『ブツダ__この世で一番美しいものがたり』としたのは、ブツダの伝記はこれまでくり返し書かれてきたし、これからも書かれていかねばならないという思いがあるからである。タイトルをあまりに凝ったものにすると、私見がまじってしまうと感じるからである。ゴータマ・ブツダを書くには、へたなテクニックを弄すべきではない。正面から堂々と書くのである。
そう思って、私は毎月四百字詰原稿用紙十二枚ほどの原稿を書きつづけた。毎月毎月ブツダに会えるのは、楽しいことであった。十二枚ずつブツダに会い、その生涯は確実に進んでいき、いつかは終わることがわかっている。しかし、終わってしまうことは、毎月自動的にブツダに会ってきた私にとって、淋しいことではあった。
経典に描かれ、万巻の書物に書かれてきたブツダの生涯であるから、何を引くこともなければ、何を足すこともない。私の導きとなったのは、主に中村元先生の諸著作である。中村元先生は先生でまた万巻の経典や書物を研究され、こうして時をへてゴータマ・ブツダの肖像が今日に伝わってきたのである。
考えてみれば、私は二十三歳の時、中村元先生の翻訳された『ブツダのことば__スッタニパータ』(岩波文庫)の文庫本一冊を持ってインド放浪をした。それ以来、私はブツダの姿を私の人生でごく自然に生まれてきたのが、本書であるということだ。
追い求めてきて、今も渇仰する気持ちで求めている。つまり、私はおよそ十年前に、『ブツダその人へ』 (佼成出版社)を書いた。それは私の四十歳代のブッダであり、本書は私の五十歳代のブツダである。ブツダそのものに何も変わりはないが、それを書こうとする側が変わっている。ブツダの時代そのものは二千五百年たっても何も変わっていないのだが、私たちが生きている時代は激しく移ろっていく。だからこそ自分たちの時代のブツダが必要なのだと、私は思っているのである。
その時その時のブツダの肖像を追い求めてきた結果感じることであるが、苦悩するブツダも、道を説くブツダも、いつも愛に満ちている。ペンを走らせてきた私にも、その愛は確実に伝わっているという実感がある。できることなら、本書を読んでくれた人にもブツダの愛が伝わりますようにと、私は願うものである。
二〇〇四年夏、大型台風が沖縄に上陸した日に
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