きもの紀行
染め人織り人を訪ねて
人がはたらきかけなければ森羅万象は
そのままで、何事もないのだが、
自然の摂理を知った人が感性をこらし、
惜しみなく手足を動かせば、無限の
色や形を得ることができる。

初版発行:2005年1月1日

発行所:社団法人家の光協会

価 格:2200円+税

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初版発行:2004年11月25日

著者:立松和平 南直哉 ほか

発行所:株式会社新潮社

価 格:950円+税

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初版発行:2004年10月30日

発行所:河出書房新社

価 格:950円+税

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あとがき
 本書は月刊誌『ぴっばら』(全国青少年教化協議会刊)に、「菩提樹の下に咲く花」として連載したものである。タイトルを 『ブツダ__この世で一番美しいものがたり』としたのは、ブツダの伝記はこれまでくり返し書かれてきたし、これからも書かれていかねばならないという思いがあるからである。タイトルをあまりに凝ったものにすると、私見がまじってしまうと感じるからである。ゴータマ・ブツダを書くには、へたなテクニックを弄すべきではない。正面から堂々と書くのである。
 そう思って、私は毎月四百字詰原稿用紙十二枚ほどの原稿を書きつづけた。毎月毎月ブツダに会えるのは、楽しいことであった。十二枚ずつブツダに会い、その生涯は確実に進んでいき、いつかは終わることがわかっている。しかし、終わってしまうことは、毎月自動的にブツダに会ってきた私にとって、淋しいことではあった。
 経典に描かれ、万巻の書物に書かれてきたブツダの生涯であるから、何を引くこともなければ、何を足すこともない。私の導きとなったのは、主に中村元先生の諸著作である。中村元先生は先生でまた万巻の経典や書物を研究され、こうして時をへてゴータマ・ブツダの肖像が今日に伝わってきたのである。
 考えてみれば、私は二十三歳の時、中村元先生の翻訳された『ブツダのことば__スッタニパータ』(岩波文庫)の文庫本一冊を持ってインド放浪をした。それ以来、私はブツダの姿を私の人生でごく自然に生まれてきたのが、本書であるということだ。
追い求めてきて、今も渇仰する気持ちで求めている。つまり、私はおよそ十年前に、『ブツダその人へ』 (佼成出版社)を書いた。それは私の四十歳代のブッダであり、本書は私の五十歳代のブツダである。ブツダそのものに何も変わりはないが、それを書こうとする側が変わっている。ブツダの時代そのものは二千五百年たっても何も変わっていないのだが、私たちが生きている時代は激しく移ろっていく。だからこそ自分たちの時代のブツダが必要なのだと、私は思っているのである。
 その時その時のブツダの肖像を追い求めてきた結果感じることであるが、苦悩するブツダも、道を説くブツダも、いつも愛に満ちている。ペンを走らせてきた私にも、その愛は確実に伝わっているという実感がある。できることなら、本書を読んでくれた人にもブツダの愛が伝わりますようにと、私は願うものである。
二〇〇四年夏、大型台風が沖縄に上陸した日に

初版発行:2004年8月6日

発行所:PHP研究所

価 格:1,500円+税

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旅の子アダム
訳者あとがき-------アダムとヴァイニング夫人
 本書は一二九四年のイングランド南部、セント・オルバン、ロンドン、ウインチェスター、オックスフォードのあたりを舞台にした物語である。日本では鎌倉時代と呼ばれ、承久(しょうきゅう)の乱をへて鎌倉武士の政権が揺るぎないものとなっていった頃である。
 この中世という時代に、一人の少年を配して生き生きと動かすという構想は、小説家にとっては誘惑のように魅力的に写る。しかも歴史に残る人物ではなく、まったく無名の吟遊詩人の少年を主人公にすることによって、その時代の空気というものを緻密に描くことができるのだ。そのためにはもちろん、歴史に対する深い造詣(ぞうけい)がなければならない。人々がどんな時代か思い抱き、衣食住はどうであったか、知識を超えた想像力が必要とされる。つまり文学者のただの思いつきで書くことのできる世界ではない。
『旅の子アダム』には、吟遊詩人という職業の名だけは知っているがその実態のわかりにくい人たちの、生活感情や実際の暮らしぶりが、まるで現代小説のように細密に描かれている。もちろんこれもなかなかできることではない。
 読者は、今から八百年以上前の中世を生きる少年に感情移入し、彼と喜怒哀楽をともにする。現代と中世とで一番違うのは通信手段であると感じられるのであるが、善人も悪人もいるのは同じで、この作品世界には心からの善き人のほうが圧倒的に多い。そのことはもちろん、作者エリザベス・グレイ・ヴァイニングの世界観なのである。
 吟遊詩人の父と離ればなれになったアダム少年の、冒険あり、友情あり、苦難あり、絶望、恩寵(おんちょう)ありの成長物語である。生まれながらの旅人のアダムは、道を家と思い、旅の生活をしている。どんな権威にも無意識のうちにも近づかず、すべてに自由自在である。一途な性格が時に災いするのだが、物語の中ではアダムとともに道を家として旅をつづけて
いる読者にも、もどかしいながらも爽快である。一切の妥協をしないために、いつもアダムは汚れがつかず清らかなのである。
 あらゆる意味で成長しているということは、本人には自覚がないものだ。しばらくぶりで父親の前に顔を見せたアダムは、背が高く身体も頑丈になっていた。考え方もしっかり
とゆるぎないものになっている。そして、父親はやさしい目をしてこういうのだ。
「息子よ、本当によくやったね」
 ここで読者はアダムとともに旅をしてきた自分も、いっしょに成長してきたと感じて嬉しいのである。辞書と首っぴきになり、あまりにも長い時間机上でアダムとともに苦しい旅をしてきた私も、同じような思いになる。私は自分自身に向かっていうしかない。
「本当によくやったね」
一字一句を呑み込むように読んできて、私はこの作品は名作であると確信する。難解なところのない作者の格調高い英語を、ふさわしい日本語に置き換えることができたかどうか問われると心もとないが、今ペンを置こうとして、私は深い充足を覚えるのである。
 作者エリザベス・グレイ・ヴァイニングは、ヴァイニング夫人と呼ぶほうが通りがよい。
一九〇二年十月六日フィラデルフィアで生まれ、一九九九年十一月二十七日に九十七年の生涯を閉じた。児童文学者として名をなしながら、今上天皇である明仁皇太子の家庭教師を一九四六年十月から五〇年十二月までの日本滞在中につとめた。『皇太子の窓』を帰国後刊行し、各国に翻訳されて大反響を呼んだ。
『旅の子アダム』 は来日前の一九四二年に発表され、アメリカ児童文学で最も著名であるニューベリー賞を受賞した。本書を読んでいたるところに感じるのは、ヴァイニング夫人は平和主義者ということである。絶対的な平和を唱えるクェーカー教徒であることが、敗戦後に日本の新憲法の思想の柱である戦争放棄条項と、夫人の魂が自然に共鳴したということではないのかと私には思える。一九六九年六月十八日、ヴァイニング夫人はクェーカー行動委員会ベトナム反戦デモに参加し、ワシントンの国会議事堂前で逮捕されている。ヴァイニング夫人は数々の勲章や文学賞をもらったが、この反戦運動での逮捕も彼女の人生の勲章の一つであろう。

初版発行:2004年3月25日

発行所:恒文社21

価 格:1,900円+税

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遊行ちまたで仏と出会う日々

初版発行:2004年1月30日

発行所:株式会社佼成出版

価 格:1400円+税

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すらすら読める「奥の細道」
あとがき
「奥の細道」の旅から芭蕉が大垣に戻ってくるということは、先行していた曽良によって知らされていたから、知人や友人や門人たちに芭蕉は賑やかに迎えられたことである。こうして奥州への一面では悲愴な旅を終えた芭蕉は、娑婆(しゃば)世界への黄泉(よみ)がえりを果たした。やがて病気の癒えた曽良も、伊勢からやってくる。奥州へはいろうとする時の畏怖(いふ)の感情は、すでに芭蕉にはない。
 もちろん気が緩(ゆる)んでここで終わっているのではない。芭蕉は次の旅への闘志を燃やしている。長旅の疲れを癒やす暇もなく、伊勢へ二見が浦へと旅立っていこうとするのである。まさに永遠の旅人であることを、芭蕉は自ら宣言しているのだ。
 伊勢に至った芭蕉は、神宮を参拝してから、故郷の伊賀上野に帰る。晩年になって死を感じると、故郷のことがしのばれるものである。奈良、京都、大津にいき、翌年再び伊賀上野にいく。「奥の細道」の長旅の疲れは、帰った翌年頃からではじめ、芭蕉は健康の衰えを覚えてきたようである。とみに衰えを見せはじめても、京都や江戸への旅をつづけ、とうとう旅先の大坂で没する。
 こうして芭蕉自身の空間移動の旅は終わらなければならなかったのだが、まさに芭蕉が「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして」と予言した時間への旅が、そこからはじまったと私には思える。時はすさまじい速度で流れ去っていき、芭蕉が「奥の細道」の旅に発足してから三百年以上たったのだが、まったく色褪せることなく芭蕉の言葉は今も私たちの前にある。芭蕉の身体は亡びたが、芭蕉の魂である言葉は今も時間の中を旅していて、なお永劫(えいごう)の未来へ向かって旅をやめようとはしないのである。

初版発行:2004年1月13日

発行所:株式会社講談社

価 格:1600円+税

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沖縄 魂の古層に触れる旅
はいしめに
変化と悲傷
 つい数日前にも沖縄にいってきた。大学一年生の時にはじめて琉球海運の船に乗って那覇に上陸してから、沖縄との縁はつづいている。最初の私の旅は一九六六年で、四十年にもなろうという歳月がたってしまった。この間には沖縄の本土復帰があり、沖縄自身には劇的というべき変化があった。時代の波に翻弄され、さらされてきたというべきであろうと思う。この変化は、日本全体が戦後にたどってきた推移を、時間を短縮して煮詰まった形で沖縄が表現しているのだともいえる。そして、この変化がすべての人にとって本当に幸福だったのかと、今この場所に立って私は思うのである。(i抜粋)

初版発行:2004年1月20日

発行所:NTT出版株式会社

価 格:1800円+税