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『空き家崩壊・・・』

 和泉屋豆腐店のある川衣集落のまだ真新しい交流センターの大広間の窓から、穴の開いた茅葺き屋根の家と今にもトタンが剥がれそうな倉庫が見える。残念な事に同級生の実家で両親が亡くなると空き家となり無残な姿となっている。
同級生は進学校に進み証券会社に就職、村から出ない自分などはよくからかわれたものだ。最近は連絡もなく同級会への参加も何時だったか。それでも集落の親戚の家に泊めて頂きながらも、年に一度はお墓詣りに来ているようだ。昔はユンボで家を壊して、所有地に穴を掘り燃やしてから不燃物と一緒に埋めてしまったが今ではそうはいかなく、小さな家でも百万以上の解体費がかかる。
川衣集落から出た多くの人は実家からの援助もあったのだろうが、落ち着いた先に家を建てているから、後継ぎの問題以上に空き家が増える一番の要因がここだ。親が生きている間や亡くなって三回忌頃迄は別荘替わりでも、年々足が遠くなるにつれ家はさびれていく。 国が力説する地方再生はどこを目指しているのだろうか 。


『帰郷者頼み』

 一昨年、夫の退職を機に嫁さんの実家に住みついたご夫婦がいる。後を継がない次男、三男はお盆、正月など嫁さんの実家に帰郷する場合も多く、この旦那さんも隣近所とは顔なじみで違和感なく住むことが出来たようだ。集落では一人暮らしの高齢者が多いことから大歓迎を受けているが、最近は断りきれない細々なお手伝いやら、集落の様々なまとめ役の区長まで押しつけられていて、会社務めより大変だと困惑を隠せないらしい。自分の息子、娘さえ戻らないのだから、過度な依頼や期待をすることなく、もうすこし時間をかけて迎え方を考えてはどうだろうか。

『共同浴場の存続』

 木賊温泉には川沿いの岩風呂と広瀬の湯の2つの共同浴場がある。湯の花温泉もそうなのだが、もともと多くは家に風呂を待たないで「共同浴場」を家庭の風呂として利用してきた。集落では埼玉県大宮市(現さいたま市)と温泉掘削・配湯の条件で自然の家建設誘致に成功すると、市・村から補助を受け待望の男女別「広瀬の湯」を建設、共同浴場を2つにすることで木賊温泉は大きな転機となる。しかし、温泉は生き物、最近の地震により古くから営業の旅館の源泉、広瀬の湯の源泉の温度が下がる。もともと加熱していた広瀬の湯は燃料費に頭を抱える。明確な組織体となってなくとも、温泉は個人・集落の権利により管理されている。当時の舘岩村・大宮市のような救済的補助金の支出は南会津町には期待できない。四方八方、会議を重ねても結果は広瀬の閉鎖なのだそうだ。震災以前から観光客の落ち込みで広瀬の湯の入湯料での燃料費負担はなかなか無理になっていたようで、開湯時間帯の調整なども試みはしたがここに問題もあった。集落民を優先した時間帯ではお金を落としてくれるお客が入れる時間帯ではない。大きな優先順位の誤りが「廃止」に拍車をかけたのだ。集落は「広瀬の湯」が無いころを顧み、少しの不便さとも向かい合わなければ「木賊温泉」の再興は無いと考える。
※埼玉県大宮市の自然の家建設構想での土地の買収は、旧開拓パイロット事業でホップの栽培を夢みた休耕地で利用もされていなかったとはいえ、権利者間のトラブルや、施設の誘致を進める現職星英男村長、反対ではないが新人星力氏の激しい村長選も絡み混沌とし、 売買契約書が整ったのは大宮市との締結調印最終結論期限5月の出納閉鎖直前までとなる。 当選したといえまだ登庁していない星力氏の元を、教育長の星左右衛氏とともに訪れ今後の指示を仰ぎながらようやく建設にたどり着くことができた。日によっては県庁職員からのだめだしに往復400kmにもなる福島県庁の二往復や、大宮市職員とのバトルなど、数えきれない思い出があるだけに、木賊集落だけでなく舘岩地区の問題として、多くの方の知恵、支援を頂いて再興でいないかと願うばかりです。



『探しています』

 和平事務所、戸崎さん、黒古さんの資料から、書籍になった和平本の全作があきらかになろうとしている。それでも週刊誌や記念誌、新聞等々に掲載したものまでもをまとめるとなるとどうだろうか。その多くは「立松和平 日本を歩く全7巻」の中に網羅されてもいるが、残したい文章は湯水のごとくあるようだ。
和泉屋豆腐たとえば、週刊文春での和泉屋豆腐の記事は豆腐店の売り上げを伸ばすだけでなく村全体の紹介も兼ね、未だに店先の額に入れられ宝物として飾られていてる。そのような「和平集」は本人や、地域の宝物として大切に保管されていて、なかなか表にでない作品なのかもしれない。宇都宮市南図書館に寄贈しましょう。栃木の偉大な作家を忘れないためにも。