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『足尾銅山記録映画「鉱毒悲歌」上映会』

 「1974年から5年間、足尾から旧谷中村の風景、さらに村民の移住先の那須、北海道、佐呂別での聞取りと撮影は続いた。そこには足尾の鉱毒により生活基盤を破壊させられたれた農民、鉱夫の苦難の歴史があった。仮の編集で止まっていた幻の記録映画が35年ぶりに完全編集版として蘇った。」
 今回、宇都宮市で第一回の上映会が開催される。携わった方々の努力が実を結び陽を観る結果になったことへ、ご苦労様でしたと労いの言葉を贈りたい。足尾は地元の方の努力と多くの方の応援から緑芽吹く山へ変わりつつある。その運動は環境再生モデルとして多くの地域から手本ともされている。
  3.11福島原発事故にもみる、人が繰り返す負の遺産への警鐘として多くの方の目にふれることを願っている。


『八総鉱山』

 旧舘岩村、田島町の境、国道352号線の中山峠地中に八総鉱山坑道が走っている。 父も林業のかたわら坑夫として働きに出ていたが、田島側の滝の原には小学校まであり3,000人以上が一地域形成をしていた。そこの小学生は、キルテングのスキーウエア、ビンデングのスキーと、当時半纏に軍手、長靴スキーだった私たちには何もが羨ましいかぎりで、ジャムパンなど食べ物もさえ珍しいものを食することができた。
廃坑後もトロッコの線路もあり、黄銅鉱の塊をみつけるために坑道の中にもよく遊びに出掛けた。ごく最近、坑道入口が閉ざされたが、今考えれば随分危険ない遊びをしていたものだ。
その鉱山から流れ出た水でカドミュウムの被害がある。舘岩川の支流や源流5km下流までも茶褐色になり魚の棲まない川となる。当然水を引いていた田んぼはカドミ米なのだが、公表されたのは高校の頃、米はすべて糊用として買い上げられ、その後土壌改良が進められた。大きな問題にならなかったのは、地元有力者等々と住友金属の手打ちと言われていたが、その息子さんが現在も浄化施設の管理を請け負っているから世の中は勝ち組にかなわない。
何時でも正直者は正直者で負を負っている。今まで魚が棲まなくなった場所が魚がもどっているエリアが長くなっているようだが、たまに尻尾が曲った魚も釣れると言うから、調査もしない現状のまま未だに公害は終わっていない現状がここのもある。