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『「消滅する市町村523全リスト」から何を学ぶべきか』

 山村集落再生塾の藤木先生が平成18年から舘岩地区水引集落の茅葺き屋根等修繕活動に取り組んでおられることは何度か紹介している。塾ホームページでも「山村だより」として読んで頂けるので是非ご覧いただきたい。今回№23号で上記に対する提案を頂いたので転記する。「中央公論」が昨年12月から3回に渡り「壊死する地方都市」の特集で人口減少に伴う都市将来像を報じ、日本創生会議による「消滅する市町村523全リスト」は大きな波紋を与えが、福島県は原発事故により調査外とされ実態は明らかにされていない。 藤木先生からの提案。 「舘岩地域は平成18年度の緒樽合併で南会津町になったが、元は独立した「村」であった。現在の人口は1,875人、748世帯で、27地区に分かれている。地域全体の高齢化率は41%で、全国平均24.1%をはるかに超え、27地区の内、9地区はすでに50%を超えている。本誌№21で報告したが、水引では、子どもは中学生が一人、「20~40歳の女性」一人である。この状態は他の地区でもおおむね共通し、いずれ消滅する地区が出てくる。言い換えればそう遠くない将来、町が自治体としての機能を十分に果たせなくなる可能性がある。この事態を町も住民も直視し、今のうちに打てる有功な手立てを実行しなければならない。そこで必ずしも目新しい考えではないが、地域再生に向けて以下の三つの施策を提案したい。ここで述べる内容は全国の大方の中山間地域に共通するものと考える。まずは、27地区を三分の一程度にコンパクト化し、拠点地区を作る事である。戸々に高齢者施設を集落することで、独居高齢者の見守りを容易にし、高齢者医療・福祉の充実を図る。舘岩総合支所周辺には十分に活用されていない公共施設を見受けるが、シュアーハウスに転用し、各地区から高齢者の移住を促すなどの方策もある。次には、耕作放棄地を含めた農地を集約し、農業を個人から組織経営への転換積極的に進め生産効率を高める。最後に地場の再発見を挙げたい。舘岩の蕎麦は全国的に見て極めて美味である。赤かぶも全国的な販路拡張を期待できる。さらには最近、高杖地区で稼働し始めた木質バイオマス発電の拡充と森林資源活用、水流が比較的平坦であるが工夫によっては小水力発電も可能である。加えて太陽光発電の普及により地域自前の再生可能エネルギーの創出を拡大したい。以下の三点が有機的に絡まって機能すれば若い人たちの雇用に繋がる。ただ、乗り越えなければならない障壁が二つある。一つは住民自身が身につけている土地所有に関する意識の転換を図らなければならない。もう一つは、さまざまな事情が複合して衰弱した地域の自治力を復活させる政策が必要である。これらのことが近い将来実現の方向に進めば、舘岩は魅力ある山村として再生するであろう。」 障壁の一つの土地・建物への執着では、修繕過程で藤木先生も随分と苦労されているし、二つ目の政策も、行政は実行例ありきで新しい事業には二の足を踏みがちであることも、地域実情に合わない行政の継続、先駆けた事業展開が出来ないことへの一針であろうか。



『法隆寺菜種油でお役立ち』(日本経済新聞2013.9.18)

 菜の花を育て、油を搾るのは、ほぼ一年を通じた作業になる。10月に畑の土を起こし、種まき、草取りを続け、3月に花は咲き始めるが、種の収穫は6月頃。油を搾るのは7月頃だ。子供たちに作業の手ほどきをしながら花の栽培や油つくりをするのはかなりの労力だ。 それでも修学旅行で法隆寺の方たちから「煙の出ないすばらしい油です」と声をかけられた感激をつづった作文を読んでいると、こちらも達成感と充実感で胸がいっぱいになる。  和平さんは生前、法隆寺の奈良時代768年(神護景雲2年)から続く、金堂修正会の法要に1月8日~14日参加されていた。修正会では油を盛った皿に芯を差した灯明を灯し続けるそうだが、良質の菜種油が中々手に入らず、僧侶の鼻や、仏像が汚れてしまうとの事も講演でよく話されていた。丁度生活者の観点から環境を学び、身近にできることから行動につなげようと、菜の花プロジェクトに参加されていた小牧市女性の会が、自分たちで種を撒き育て絞った菜種油を、和平さんの仲介で法隆寺に届けた。翌年からは作業を手伝ってくれる地元の小学生が、修学旅行で法隆寺を訪れ直接油を手渡ししているという。 「和平さんが亡くなり、すでに3年半、ご自身の引き合わせが生んだこの成果にきっと喜んでくれているに違いないと」と綴られている。足尾から言い続けた「環境問題では、できること、ささやかなことを少しずつやっていくしかない。大きな事ばかり言ってもしょうがない。」全国で実を結ぶ活動に繋がっている。


『藤木先生の提案』

 舘岩の蕎麦は、一升のそば粉を三枚から四枚に伸ばし、重ね菜切り包丁で引くように切ることから「裁ち蕎麦」と呼ばれている。地区内に名人と言われる方、自称名人の方も沢山おられるが、全国を旅された立松さんが、私の知る限りこの蕎麦は「日本一」だと、紀行文でも紹介している方が星キミエさん。80歳を過ぎているが、馴染みの方々に振る舞う蕎麦は食べる人に未だに感動さえあたえる。自分の店を持つわけでもなく、お弟子さんをとったわけでもないが、手習いを受けた方は500人とも。 キミエばぁさんの凄さは「そば粉」を選ばないこと。どこのそば粉でも握った感覚で、湯、水量を決め見事なまでの蕎麦に仕上げていく。その過程で捏ね上げが大事と言うが、三枚のばしても六枚のばしても、重ねれば重箱のような正確さ、蕎麦が回るまさに芸術品だ。 最近は、腕も目も落ちて少し太めの蕎麦になると言う。舘岩村当時、文化伝承事業で名人から手ほどきを受けた方々が一堂に集結すれば、まさに日本一の「蕎麦郷」として蘇ることもできる。と藤木先生に同感である。


『舘岩の赤かぶ』
 藤木先生の提案にもあるように、従前は前沢カブとも呼ばれていたが、現在は舘岩全域で栽培されている。このところ、原因は定かではないが「根こぶ病」が広がり良質のカブの生産にも大きな影響が及んでいる。舘岩の赤カブは代々「種」が引き継がれ各家々で栽培されてきた。たかつえスキー場開発に伴う、冬期間の観光客の増加から、酢漬の袋詰めの土産品としてそこそこの販売量もある。一般的には7月下旬から8月上旬にかけ播種、10月から収穫となり、各家なりの漬け方で保存食となる。一時、赤カブ焼酎なども世に出たが頓挫。触感の良さから、一夜漬けや生のままで食されるのが普通だ。 今も、3件の地元漬物店の他、共同体、個人でも加工品として袋詰めで販売されているが、野菜としも、加工品としても、限られた期間、地域販売で活路を見出すことが現実的か。長期的には、大手産地通販会社等々の契約栽培も考えられるが、栽培過程での管理技術等々ハードルは決して低くはないが、京野菜、京野菜を取り巻く環境に学ぶところは大きく、地域にしかない物をどう売るか、これからますます地域力として試されてくる。


『木地の里』
 前沢集落のほど近くに、弱電メーカーの工場を改築し木地を挽いているグループがいる。職業も年齢も様々、一癖も二癖もある連中が、言いたい放題、やりたい放題自由に活動している。盆や瓢箪の作品を次々にため込むが売れない。立ち上げ当時は珍しさもあり、友人知人へ配っていたが、配る先にも限度がある。たまに予約の体験も轆轤台数や作成時間もありそうおおく取れるものでもない。会員の中に矢板市の高橋さんがいる。地元の材木屋に足を運んでいた縁で仲間に入り月に二度は訪れる。作品も商品として展示できるように上達し大きなもの数点が売れた。今では百円ショップに○○塗なる椀や皿も並んでいるが、本格的なモノになれば高価な値段が付いている。食卓に、自分で作成した箸、椀、皿などで囲むことが出来たならばそれはすごく贅沢なこと。少しの利益と作品に要する時間を楽しむことのできる大人の遊び空間として、高橋さんの様に足を運んでくれる方が多くなることが「木地の里」の大きな楽しみでもある。


『尾瀬の特集』
 尾瀬の写真が地方紙の表紙を飾っている。福島県側の尾瀬は水芭蕉、ニッコウキスゲの季節以外は閑散としていて、最近は首都圏から日帰りバスツアー、那須近郊ホテルからの送迎と、なおさら宿泊客の減少が著しく観光産業に大きな痛手となっている。尾瀬の朝夕の風景は是非一度見て頂きたいのだが、地元宿泊施設はなかなか対応しないでいる。今回の特集はいい写真が掲載されているので足を運ぼうとする方が必ずいる。朝・夕の風景をご覧いただくため、宿泊して頂ける方法・努力を惜しまないで頂きたい。