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和平文庫
 
 福島県南会津郡舘岩村前沢は、曲がり家の集落である。曲がり家とはL形に曲がった大きな農家で、人と馬がいっしょに暮らした形を伝えている。馬はもちろん家族の一員で、大切な働き手だった。雪深い会津地方で、体温の高い馬とひとつ屋根の下に暮らすとは、ストーブが近くにあるようなもので合理的ではあったはずだ。しかも萱葺き屋根だから、暖みを少しでも逃がすまいという思いが感じられる。しんしんと降る雪の下で、人は馬と身をすり寄せるようにして暮らしてきたのだろう。
 曲がり家は豪雪の村で、人の生きてきた記憶をとどめているのだが、これを保存するのは大変な仕事だ。大きな建物だからあちこち傷むだろうし、メンテナンスも大仕事である。萱の手当ても楽ではなく、屋根を葺きかえる技術を伝承している人も少なくて、人数を集めるのも昔のように号令ひとつというわけにはいかない。
 それでも二十戸あまりの曲がり家が軒を連らねている。ゆるやかな斜面に沿って家がならび、一番奥には薬師堂がある。いかにも古そうな堂で、天井には彩色された絵が描いてある。静かに時を重ねてきたという雰囲気が伝わってくる。
 この曲がり家のうちの一軒が、同じ村の別のところから移築してきたものなのだが、内部にはいることができる。夏でもひんやりとした空気がたまっている。土間があり、囲炉裏の切ってある居間があって、奥のほうは座敷になっている。箱入り娘とは、奥の小さな座敷に住んでいる娘のことだ。箱形の箪笥が階段になっていて二階にも部屋がある。隠し部屋に近く、客人などを泊めたところだ。吊ってある床を下ろすと、ここは完全に密閉された空間になる。
 全体が煤のために黒ずんでいる。囲炉裏からでる煙は林木や屋根についた虫を追い払い、防腐剤の役目もする。家全体に古式蒼然たる雰囲気があるのは、この煤のためである。土間から梯子が立っていて、登ると蚕屋に至る。今は養蚕をしていないから、内部はただがらんとしているだけだ。蚕を飼育している夏の時期は、桑の葉を刈ってはつねに梯子をかついで上がり、それは大変なことであったろう。
 馬も蚕も人も同じひとつの屋根の下にいるのが、曲がり家なのである。田んぼや畑や山林などはもちろん戸外にあるのだが、そのほかの仕事場は家の中に集中させる。馬や蚕の具合をいつも近くに見ていることができるわけで、合理的である。
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 高い屋根裏には、木でつくった大きな金精様が吊ってある。
「なんであんなことをするかわかるべか」
 前沢集落に住む小勝政一君が、天井を見上げる私たちにいう。金精様とは要するに男根だ。誰もが答えられないでいると、小勝君は笑っていう。
「火事にならないまじないだ」
「ああそうか、チン火か」
 私の連れの一人がつぶやき、大笑いになった。火事にならないのではなく、逆に火事を招きそうな感じもする。
 今回私が前沢集落にいったのは、「和平文庫」をオープンするためだった。私は小勝君とは古い友人で、前沢に住む人と観光のために訪れる人のために、私設図書館をつくりたいと相談を受けたのが発端だった。仕事柄私は本に囲まれた暮らしをしていて、本の数は毎日どんどん増えていき、生活する場所が狭まっていく。冗談ではなく、布団を敷く場所さえなくなってくるのである。しかし、人の思いを集める本だからこそ、捨てるわけにもいかない。古本屋に売ると、著者から贈呈された署名本もあるので、やっぱりまずい。そんな私の側からの事情もあって、小さな図書館を彼の村につくることにしたのだ。「和平文庫」とは、小勝君が命名した。前回私が前沢にいった時、彼は大きな板と墨と筆とを用意していた。私が看板を揮毫した。ガレージが小さな図書館に生まれかわった。
 その日、前沢の曲がり家の前には、たくさんの人が集まった。私の顔見知りの人もあれば、偶然にきた観光客もいた。舘岩村の名物は蕎麦と栃もちである。村で一番の蕃麦打ち名人のおばあちゃんがやってきて、打ちたての蕎麦をみんなにふるまってくれた。つなぎを一切使わず、蕎麦粉だけで打った蕎麦である。もし名人でない人が同じ材料でつくったら、蕎麦は形をなさずぼろぼろになってしまうだろう。
 舘岩村独特の名物が、栃もちである。山に自生する栃の木の実を集め、水でさらして灰汁を抜く。きれいな水がたくさんなければ、栃もちはできない。複雑な工程があるのだが、梗米(うるちまい)をまぜて臼と杵とでつく。栃もちは丸く形をつくり、餡ころもちにして食べるのだ。栃の実の香りがなんとも芳ばしい。