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一本の栃の木から

 舘岩村の水引集落の五十嵐政一さん宅をはじめて訪ねたのは、十月の上旬だった。薪ストーブが焚かれていた。
 「あっ、もうストーブの季節ですか」
 私がいうと、すぐにこういい返されてしまった。
「寒い日があるから、一年中焚いてるよ。夏でも朝晩はつけている」
 薪ストーブの熱は柔らかい。石油ストーブの熱効率はいいが刺すような強さとは違い、肌にやさしい。においもまた格別なのである。薪ストーブの燃料はもちろん薪であり、伐採した樹の枝や、材木にはならない未熟な幹や、製材所で材木を取った残りの部分などを利用する。電話一本で何処にでも届けてくれる石油と違い、いつも山と接する暮らしをしていなければ燃料は手にはいらない。
 太い幹を一本いれておくと、たいてい一晩ぐらいは燃えている。樹が育った年月にくらべれば短い時間ではあるが、薪ストーブは廃物利用でもあるので、手間がかからず安上がりだともいえる。
 ストーブの上に鍋をのせておけば、手間隙のかかる煮物でも勝手にできてしまう。煮物をしないのなら、やかんを乗せておけばよい。いつでもお湯が沸いてお茶が飲めるというわけである。
 水引集落の名物は栃餅(とちもち)だ。栃餅をつくるには栃の実のアク抜きが問題で、失敗すれば苦くて食べられない。うまくいけば苦さが何ともいわれぬほろ苦さとなり、香ばしくて、こんなにうまいものはない。このアク抜きの技術が、山で生きる人たちの自然に対する解読術なのである。失敗をくりかえした果てなのだろうが、それにしてもよくこんな技術を見つけたものだと思う。
 まず山で拾ってきた栃の実を乾燥させる。乾燥がうまくいけば、十年は保存できるという。餅にする場合には、実を鍋に入れて火にかける。柔らかくなると、一粒ずつ取り出して栃剥(とちむ)き棒で皮を剥ぐ。これを網袋にいれ、流水につけておく。たえず流れつづける清水に一週間つけておくのである。
 三人の猟師が湧き水にひかれて住みついたことがはじまりだとの伝承が残る、水引集落である。大山神社の下に湧きだす水は、現在でもおとろえることはない。この水場にいけば、近所の人がさらしている網袋の栃の実が、石をおもりにして沈められている。
 この水は、何と贅沢なことであろうか。もし都会で一週間も水道をだし放しにしてさらしたら、どれほどの費用がかかるか見当もつかない。冷たくてうまい水である。栃餅はこんな贅沢の上に存在しているのだ。
 次は桶にいれて熟灰をたくさんかける。そこに熱湯を注いで二晩は放置しておく。これがアク抜きの方法だ。さらすことと、アク抜きと、この二つができてようやく山に棲むことが可能となる。
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 アク抜きがすんだら、きれいに水洗いして、半日水にひたす。ここまでが下ごしらえである。必要なのは、水と、木炭と、ストーブの熟と、大変な手間である。たえず木炭を生産する薪ストーブが、ここでは欠かせない。薪ストーブは単に暖をとるだけのものではないのだ。
 こうしてできた栃の実を、精米(もちごめ)といっしょに蒸し、臼にいれて杵(きね)でつく。ここまでくれば、栃餅の香ばしさがそこいら中にひろがっている。つきたてを、あんころ餅にして食べるのが最高だ。栃餅は山の精髄とでも呼びたくなってくる。
 栃餅は飢饉のための非常食だと、私は先入観として思っていた。何しろ、山にはいればいくらでも拾えるドングリが原料なのだ。私の生まれた栃木県は名前からして栃の実にゆかりがありそうだが、常食にしているとは聞いたことがない。
「いやあ、子供の頃から粥にしたりして、普通に食べてたよ」
 五十嵐夫人の恵子(えいこ)さんは、つきたての栃餅をあんこにまぶして私にくれながらいった。どうも私は米が一番うまいのだという先入観を持っていたようだ。手間さえ惜しまなければ、栃餅は上等な常食なのである。
 恵子さんはこんな話もしてくれた。
「栃の実がなった年は、ネズミもひききんねえもんな。この秋は雨が多くて、ひとつもなってねえ。十年間は実で保存がきくから、すぐには困んねえけど。これは前の年の実だもんな」
 自然条件によって、豊作と不作がある。米が不作の年は栃の実も不作なのかもしれないが、しかし栃の実は保存がきく。栃の実が保存してあれば、暮らしに対する安心はどれほど深かったかわからない。恵子さんの話はつづく。
「栃の木は建材のいい材料だべ。山の奥のほうから木を伐ってきて、気がついたら、水引の集落が見えたんだ。このままじゃ栃餅も食べらんなくなるって、びっくりしてな。営林署がきかないもんで、陳情をくりかえして、やっと伐るのをとめたんだもんな。山にはいれば大人でふた抱えもある栃の木がいっぱいあったけど、今は一本もねえ」
 一本の栃の木から、人の暮らしにまつわる大系がつくられている。たえず山にはいり、森に働きかけて、必要かつ充分な富を人は得てきた。この大系を文化という。栃の木がなくなってしまうというのは、循環して成立していた文化が消えることなのだろう。