山桜と植林
 私にとって一番の春のことぶれは、四月最後の土曜日と日曜日に行われる足尾の植林である。東京から足尾への行き方は、幾つかあり、その時によって変わる。
 まず新幹線で宇都宮にいき、日光線に乗り換えて日光駅にいく。定期バスは本数があまりに少ない。友人が足尾から迎えにきてくれる場合もあるが、そうでない時は、タクシーでいくしかない。足尾に近づくにつれ、冬枯れの森から緑が回復してくる様子が、少し冬に向かって後戻りしたような状態になる。山全体にほんのわずかだが緑色がかかり、それが本当に美しい。そして、その中にピンクの山桜が咲いている。間違いなく春になるのだなという実感がある。
 桜の中で一番気になるのが、山桜である。東京ではソメイヨシノばかりなのだが、花見の宴の狂騒が一段落して、春はたちまち遠ざかってしまったような感がある。ところが日光や足尾にくると春がきちんとそこにある。その春をひきとめているのが山桜なのだ。控え目な山桜は全山を覆うほどに咲き誇るというのではなく、あちらこちらにぽつぽつと咲いている。派手なソメイヨシノばかりを見てきた目には、まことに奥床しく感じられるのだ。
 淡いピンクの山桜に対し、紫色を含んだ赤い色で濃厚な感じに咲いているのが、ヤシオツツジである。まわりは冬枯れの色彩から脱しきれていないから、ヤシオツツジは濃厚に感じられるだけで、そもそもが春を呼ぶ清楚といってもよい花なのだ。
 日光経由でない時は、浅草から東武電車でいき、相生で渡良瀬渓谷鉄道に乗り換える。その他には、東京駅から新幹線で高崎までいき、両毛線で桐生までいって、渡良瀬渓谷鉄道に乗る。足尾線といわれた時代から、この鉄道は私には馴染みである。
 列車は渡良瀬川に沿ってゆっくりと溯っていく。時を溯っていくといってもよく、春から初春へと向かっていくのだ。山の緑もどんどん薄くなっていき、とうとう冬枯れの世界になる。山桜やヤシオツツジや、白いコブシの花が、白茶けた森の中に咲いている。これらの花を見るのが、私には楽しみでならないのである。
 そもそも足尾で植林をした動機は、もちろん歴史的に長い時間の果てに実行されたのではあるが、直接的には桜に関っている。花見でもしようと思い、昔からの仲間たちと山桜の苗を十本ハゲ山に植えたのだった。その苗が枯れた。これは本気で植林しなければならないなと、真剣に考えはじめたのである。
 足尾の山は、銅山開発による乱暴な伐採と、公害を防止するはずの煙突から出る亜硫酸ガスにより、草木一本残さないまでに植物はすべて枯れた。保水力がゼロになり、雨が降るたびわずかに残った表土を削って水は谷間に流れ、時には鉄砲水となり、渡良瀬川から下流に運ばれた。その水が鉱毒を含んでいて、下流一帯に大規模な土壌汚染を引き起こしたのが、世に言う足尾鉱毒事件である。
 それから百年の時が流れ、足尾銅山は操業をやめ、足尾にはハゲ山が残った。渡良瀬川源流域に保水力がないのは相変わらずのことだ。そこに一本一本植林しているのだが、そのはじまりは十本の山桜の植林であった。  ほぼ十五年前、十人ちょっとではじめた植林活動だが、会も「NPO法人足尾に緑を育てる会」と立派な名がつけられ、植林の日には千五百人もの人が集まるようになった。これらの人が山に登るには時間がかかり、登りだすまでに下で長い時間待っていなければならない。百万本植えようといったのだが、まだ五万五千本しか植えられていず、目標を達成するには二百年以上かかるという計算になる。そうではあるのだが、もちろん私たちは植えつづける。
 今年もまた私は足尾に山桜の花を見にいく。

「いきいき」2009年春号