南極の白瀬矗
 ここのところ私は、昨年訪れた南極の荒荒しくも茫漠(ぼうばく)とした風景を思い出しっつ、南極探検の白瀬矗 (しらせのぶ)の物語を全力をあげて書きすすめている。白瀬隊は南極棚氷の上を犬橇(いぬぞり)でひたすら南極点をめざして走り、糧欠乏と人と犬との疲労による限界で、ついに進おのをあきらめた。視野にはいる全地域を大和雪原(やまとゆきはら)と命名したのは、明治四十五(一九一二)年一月二十八日のことだ。
 前年の十二月十四日にノルウェイのアムンゼン隊が、遅れること三十四日後の一月十七日にイギリスのスコット隊が、南極点に到達している。スコットは南極点にノルウェイ国旗がひるがえっているのを見て絶望し、食糧が尽きて帰路に全滅してしまう。白瀬隊が上陸地点のロス海の鯨湾に到着したのは一月十六日で、そこにはアムンゼンのフラム号の姿があった。
 フラム号の船員からはこんな船でよくここまできたなと最初は軽んじられたが、やがてその操船技術と勇気が賞賛に変わったと伝えられている。白瀬の木造漁船を改造した開南丸は二〇四トン、フラム号は四〇二トン、スコットのテラノバ号は七五〇トンである。極地への輸送力は、白瀬隊は犬二十九頭だけ、スコット隊は犬三十頭、馬十九頭、モーター付き橇二台、アムンゼン隊は犬百十六頭であった。
 アムンゼンもスコットも国家事業としての探検であったが、白瀬は民間の義援金ですべてをまかなった。何もかもが違う。南極探検に名を残した白瀬矗という人物に、私は大いなる魅力を感じる。小説を書きすすめるうち、ますます好きになってくる。今の時代に生きる私たちが失ったのは、胆力(たんりょく)ではないかと思う。胆力とは、ものに動じず、未来に突き進んでいく力である。

日本経済新聞(夕刊)2008年6月4日(水)

戻る