日本の経済を話す
 アメリカ・ジョージア州アトランタには無事に着いたのだが、一帯は大雨で飛行機が乱れに乱れ、空港は難民化した人々であふれていた。私は石往左往したあげくに、どうにか夕方のケンタッキー州レキシントンに着くことができた。
 ブルーグラスカントリーといわれているとおり、見渡すかぎりに牧草地がつづき、競走馬のサラブレッドが飼われている。一昔前まではタバコの大産地だったのだが、コストの安いメキシコや南米に産地を奪われた。ここでも経済グローバル化によるコスト競争が熾烈である。ギャンブル性の高いサラブレッド生産は、持続可能な発展とはいかないようである。今ではトヨタなどの大工場が、経済活動の中心に位置しはじめている。
 今回私はケンタッキー大学アジアセンターに招かれたのである。「アジアにおける環境正義、社会正義」というシンポジウムが開かれ、私は日本の経験を話すように求められた。「正義」というと大上段に振りかぶったようだが、英語では「ジャスティス」ということで、意味はもっと柔らかく、誰かを糾弾するということではない。
 私は一時間半の講演と、つづいて質疑応答をした。私の立場はあくまでも作家としてである。私の著書で唯一英訳されている「遠雷」が学部の授業のテキストに使われていて、多くの人が読んでくれていた。約三十年前の作品なので、不思議な気がした。
 シンポジウムは公害に関することで、足尾鉱毒事件を描いた私の作品「毒−風聞田中正造」に関する話を要請された。ケンタッキー州には炭鉱が多く、身近に感じる作品だと日本文学の研究者がいう。私たちは日本で多くの経験を積んできたのである。

日本経済新聞(夕刊)2008年4月2日(水)

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