田舎暮らし
 定年退職をむかえた団塊の世代を中心に、都市から地方への移住がゆるやかに進んでいる。私が理事長をしている「NPO法人ふるさと回帰支援センター」は、地方自治体と結んで田舎暮らしを推進する組織で、ほぼ五年前に結成された。その仕事が、少しずつではあるが実を結んできた。
 先日、東京のホテルで私たちの法人が協力をし、栃木県や県内の市町が主催をして、田舎暮らしのためのセミナーが開かれた。私は栃木県宇都宮の生まれだから、栃木のよさを大いに語ってきたしだいである。
 新幹線でたった一時間でいける栃木であるが、突出した特産物があるわけでもなく、誰もが納得する個性的な名物もない。しかし米も野菜も水もうまいのである。これは生活をする人にとって何よりのことではないか。
 栃木の美質というなら、人がよいことだ。「奥の細道」では、芭蕉は黒羽にいく手前の那須野で道に迷う。草を刈って馬の世話をしていた男に助けを求めると、この馬に乗っていって、馬が止まったところで帰してくれればいいといわれる。馬を引き取るため、兄弟らしい男女の子供が二人ついてくる。小娘に名を尋ねると、「かさね」という。
「かさねとは八重撫子(やえなでしこ)の名なるべし 曾良」
 みちのくにはいる直前、心の迷いにとらえられた芭蕉を童子が救うというイメージである。名も知らぬ旅人に大切な馬を貸す親切さが、栃木人気質だと私は思う。
 栃木の食材の昼食がふるまわれ テーブルで聞くと、移住を決めた人、物件を探している人、まだ迷っている人がいた。多くの人が、年をとってからの穏やかな田舎暮らしを望んでいる。都会から田舎への流れは、日本史上はじめてではないか。

日本経済新聞(夕刊)2008年3月19日(水)

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