サルに学ぶ
 仏教総合誌「大法輪」は私の愛読誌で、私は小説「良寛」を連載している。三月号が届いたので鞄にいれて新幹線に飛び乗り、ページを開いて興味ひかれる記事が目についた。帝京科学大学生命環境学部伊沢紘生教授「競争の裏側の論理」である。
 サル集団は縦社会になっていて、ボスの統率のもとに集団が行動するとされた従来の固定観念を伊沢教授はくつがえした。サルが食物を選ぶ基準は、うまくてたくさんあって楽に手にはいる当たり前のことだ。その基準でサルはなんとなく移動するのであり、ボス一匹の意志で全体が行動するのではないということを、伊沢教授は山での野生サルの長年の観察で解き明かした。
 サルが遺伝的に獲得した行動特性は、ついていくということと、互いに気にし合うということだ。力ずくでしか食物がとれない人工的な動物園のサル山での観察から、腕力に応じて強さに順番がつく環境では、競争原理が働くのは当然なのだ。競争は人間社会での概念でもあるから説明しやすい。豊かな自然に寄り添って五十万年間日本列島に住みついたサルは、競争とは裏側の原理を生きてきた。
 「縄文人のふくよかな生活の実態と、彼らが持っていた自然と真摯に向き合い、足るを知り、慎ましやかに生きる価値観とが見えてくる」と伊沢教授は書く。
 楽に手にはいるうまい食物、作物を狙って過疎の集落に下りてくるサル群を、伊沢教授と私は犬を使って山に追い込んだ経験がある。サルと人間との無用の接触を避けるため、サルには山に帰ってもらおうという気の遠くなるプロジェクトだ。教授は愛するサルのために、この冬も犬と自分を駆り立て雪山を走っていることだろう。

日本経済新聞(夕刊)2008年2月20日(水)

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