文化交流使、中国をゆく

 中国に一ヶ月から一年滞在し、大学生等に向かって講演し、各地の作家たちとできるだけ交流してくる。それが文化交流使の理念なのだが、雲を掴むような話で、実際のところどうしたらよいかわからない。
 連載やら何やらを抱えているので、中国から送稿できるとはいっても、一ヶ月の時間をつくるのが精一杯である。私は一ヶ月間中国にいくことにしたのだが、この仕事がうまくいったのは長年の古い友人の陳喜儒さんのおかげである。陳さんには中国作家協会を三月いっぱいで定年になり、私が中国にいくことにしたのは四月末である。
 「中国にいる間は、自分が責任を持ちます。一ヶ月間、ずっとそばにいます」
 陳さんはこういってくれ、旅行の日程を立ててくれた。各地の大学で講演会の交渉をしてくれ、各地の作家協会に連絡して作家達との席をつくってくれ、新聞社にも連絡して取材をするようにしてくれた。そして、そのすべてに通訳をしてくれたのだ。陳さんがいなかったら、私は北京にいったとしても、ただいるだけで何もできなかったはずである。
 陳さんは『立松和平文集』三巻を編集してくれた。私にとってはよき理解者である。中国の旅行は、中国語ができればともかく、そうでなければ切符を買ったりホテルを予約したりが大変な苦労となる。ヨーロッパあたりを旅行するのと同じように考えてはいけない。最初から全行程の予定をつくり旅行社に手配してもらうのが、最も手間はいらない。移動に苦労していたのでは、何をやりにいったのかわから なくなる。
 「日本の作家がきてくれて、春風が吹いてきたように気持ちよく感じています」
 吉林省のある作家の言葉である。彼らといろんな話をして、私も同様の感想を持った。人は笑顔とともに交流しなければならないのだ。
 いく先々私は大歓迎を受け、熱烈宴会でもてなされた。それが彼らの気持ちなのである。中国で飾らないコミュニケーションは、宴席で行われる。中国での文化交流使は、強い胃袋と腸が必要なのである。

文化庁月報 2007年8月号

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