菊池健一 追悼
ステンドグラスの楯

 私が「アジア・アフリカ作家会議」により「若い作家のためのロータス賞」をいただいた時、宇都宮高校での同級生の菊池健一はステンドグラスで受賞の楯をつくって贈ってくれた。他に賞品もくれた。私の妻がデザインした絵を、ステンドグラスにして窓の枠に入れてくれたのである。
 受賞の報せは確かに主催者からもらい、新聞にものった。事務局のあるソ連作家同盟事務局員から口頭で、加盟している国に1箇月滞在する費用をもつとの連絡をもらったものの、書類や楯の類はまったくない。旅行も結局忙しさにかまけて先のばしになり、そのうちソ連が解体し、ソ連作家同盟も解散してしまった。私の手元にあるのは、受賞の記憶の他には、菊池健一が私的につくってくれたステンドグラスの楯と窓枠だけである。
 その窓枠は居間にあるので、私は毎日眺めている。なんとよい贈り物をくれたのだろうと、私はほぼ毎日思うのである。そして、人を疑うことを知らないような純粋な彼の笑顔を思い浮かべる。
 彼は私の家の近くの東京恵比寿で蕎麦屋のインテリアを担当し、そのついでに私の家にも顔を出すことがあった。
 インテリアは、彼が尊敬する鉄の彫刻家との共作で、彼はステンドグラスやガラスを担当した。重厚で洒落でいてまことにすぐれた装飾をつくった。その蕎麦屋はあまりに高級で、盛り蕎麦も一枚では絶対に足りず、二枚食べると軽く二千円を超える。いくらなんでもあまりに高い。もちろん彼のインテリアとはなんの関係もないことなのだが、蕎麦屋は閉店になってしまった。やっていれば、彼のことをしのぶ絶好の場所であった。
 私は螢を見にこないかと誘われ、千葉県の沼のほとりのアトリエに、家族を連れて訪ねたこともある。結婚式にも呼ばれていった。もうちょっと仕事をさせてやりたかったと思うのだが、詮ないことである。心のきれいな菊池健一をしのぶために彼を主人公にして短編小説を書きたいと、今は思っている。それが楯へのせめてもの私のお礼である。

光の造形家 菊池健一へのメッセージ 2007年4月15日
菊池健一君を偲ぶ会