路地裏カメラ散歩/銀座で美人に囲まれて
 銀座といえば思い出すことがある。
 長野規さんは「少年ジャンプ」の元編集長で、この少年漫画週刊誌を百万部を起える伝説的な雑誌に仕上げた、伝説的な編集者である。私は大学を卒業する時、その出版社の就職試験を受けて、合格し、編集者になるところであった。試験に通って入社する前の研修期間に、里親制度のようなものがあり、学生の身分でありながら時々編集部にいる長野さんに会いにいって勉強するようになっていた。いけばコーヒーを御馳走になり、編集現場の空気に触れた。
 だが私はどうしても小説が書きたくて、入社をしなかった。断りにいったその足で山谷にいき、日雇い仕事なとで生活費を稼いだりした。だが小説を書いて生きていくなど夢のまた夢で、家族を連れて故郷の宇都宮にいき、市役所勤めをした。宇都宮の郊外に買った建売り住宅の家で、夜に誰にも読まれるあてのない原稿を書いていると、時々長野さんから電話がかかってきた。
「ぼくは今銀座で、美女に囲まれて、うまい酒をじゃぷじゃぷ飲んでいるぞ。君は書いているか」
 長野きん一流の励ましなのである。長野さんは自らも詩を書く人で、漫画雑誌の名編集長になっていることに、自己韜晦があった。美女や美酒などは俗世のものだという、恥ずかしい気分に満ちた人であった。
「書いています」
 私はこのように答えるしかない。
「そうか。君は書くんだぞ。しっかり書くんだ」
「わかりました。ありがとうございます」
 こういって電話を切る。だがこれですんだわけではなく.しばらくするとまた電話がかかってくるのだ。
「ぼくは今銀座で美女に囲まれて……」
 もちろん酔っているのだが、まったく同じ電話がかかってくる。四度も五度もかかってくることもあった。田舎に引っ込んだお前のことは忘れていないよ。こんなメッセージだったのだ。もちろん私にとってはありがたいことこの上ない。
 やがて私は東京に住むようになり、長野さんに銀座に呼び出されで飲むこともあった。美女に囲まれ、うまい酒をじゃぷじゃぷ飲んでという具合なのではあったが、そんなことよりも長野さんといられることが楽しかったのだ。
 歳月が流れ、長野さんは会社を辞めた。長野さんに世話になった人も多く、時々長野さんを囲む会を開くことにした。うまい酒はともかく、美女に囲まれてということはどうでもよく、銀座の路地の裏の小さなカウンターバーをその場所とした。そのメンバーの中には、北方謙三の顔もあった。
 そのバーの前を、何気なく通った。もちろん長野さんのことを思い出した。長野きんはすでに鬼籍にはいられている。

GOLDEN min. 2006年11月号