沖家室島へ
 山口県の周防大島から沖家室島にいった。大学時代の先輩が亡くなり、沖家室島が出身地で、菩提寺の泊清寺がある。一昨年に七回忌をやり、私は今回が三度目の訪問だ。
 周防大鳥は民俗学の宮本常一の出身地として有名で、人口で老人が占める割合が高いことでもよく知られている。要するに過疎の島なのである。その島を活気付けるため、周防大島郷土大学が開かれ、私はその講義のために呼ばれたのである。
 広島空港に迎えの人がきてくれた。山口県柳井市から周防大島、沖家室島は橋でつながっていて、およそ2時間である。途中、岩国の錦帯橋をつくった海老崎粂次棟梁と合流し、昼食をいっしょにとり、錦帯橋の前を通っていった。亡くなった先輩の妹が棟梁の奥さんである。かつて錦帯橋の工事の真最中にも私は訪問した。今回のその日は錦帯橋火大会であったが、突然の携帯電話での連絡にもかかわらず、棟梁夫妻ほ花火大会など毎年あるといって私たちといっしょにきた。
 沖家室島は今年開島四百年ということだ。瀬戸内海航路の中継地として大いに栄え、沖家室島千軒といわれて大いに賑わったところである。漁業基地にもなり、ハワイにも漁業を伝えた。一時ほ2万人あった人口も、今は196人である。
 開島四百年を記念した郷土大学は、島の精神的な中心地ともいうべき泊清寺の本堂で開かれた。聴衆が200人集まった。島の人口よりも多い人が本堂にきたのである。
 講義が終わってから先輩の墓前で供養をし、場所を移しての宴会となる。戦前の朝鮮で財をなした人の豪邸が寺に寄附され、そこが寄り合い所と宿泊所になっている。ビールや日本酒や焼酎が大量に持ち込まれ、誰が誰やらわからないままに宴会がくりひろげられる。博多、神戸、大阪、小田原からと、やってきた人も多様だった。もちろん棟梁も酒を大いに飲んでいた。
絵:山中桃子
BIOS Vol.57 06.08.20