私的知床(その1)
徳行の人  何度も顔を見て知っているつもりなのに、亡くなってからその人のことがよくわかる。そんなことを私は改めて休験した。昨夏、突然電話があって、私は知床の親友、佐野博さんの父、佐野幾之介さんの訃報を知らされた。予定がすっかり埋まっていたのだが、私は連夜に出るために飛行機に飛び乗った。
 地元で鉄工所をやっている幾之介さんは、働きに働いてきたいかにも身体壮健な開拓者である。どんな人物でも年をとれば衰えるのは使方のないことだ。
 通夜の会場には85歳でこの世を去る老開拓者を送り出そうという、親愛の気配に満ちていた。ある人はこんなふうに話した。「私は宇登呂で農業をやっていたのですが、雪が降って材木を搬出する『バチバ』(鉄製の二連馬車)を、幾之介さんは金がないのにつくってくれました。支払いはいつでもいいということで」
 山から引いてきた馬の蹄鉄(ていてつ)がとれてしまった。このまま馬を引いて帰るわけにもいかないのだが、金もない。そんな窮地を、鍛冶屋の幾之介さんは「金などいらない」と、蹄鉄を打って救ってくれた。そんな言葉があっちこっちであがっていた。
 佐野幾之介さんは、徳行の人だ。通夜は徳行の人を讃える気分でいっぱいなのだった。
朝日新聞 2006年2月20日