吉野の行場
 吉野は美しいところである。見渡すかぎり染井吉野の桜が植えてあり、咲き誇ったらもう見事というほかはないはずだ。だが、私はその花を見たことはない。吉野は山の尾根に沿った一本道で、花の季節には車が殺到するから、それはすさまじい大渋滞になるらしい。電車で麓まできてケーブルカーに乗り換えるには、3時間待ち4時間持ちということになるそうである。
 東京あたりから大型バスでくる時には、徹夜で走って早朝に吉野にはいってしまい、一日桜を楽しんで、夕方に帰ってくる。そんな苦労をしても、吉野の桜は見る価値があるということだ。だが本来の吉野の桜は山桜だったようである。
 吉野は役(えん)の行者が修験道を開いたところである。役の行者には前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)という徒者がいて、夫婦だったとされている。修験道は約干三百年前に開かれた。大和の葛城(かつらぎ)山麓に住んでいた役の役者は、吉野にはいって峰入り修行をし、そこで感得したのが蔵王権現である。蔵王権現は金峰山寺(きんぶせんじ)に祀られている。
 紀伊半島の背骨をつらぬいているのが、役の行者が開いた修行道場の大峰奥駆道(おおみねおくがけみち)である。私はそのほんの一部にはいってきた。
 前鬼と後鬼の子供が五人いて、驚いたことにその子供が今も山中の電気も通らない家に暮らし、山伏たちの世話をしている。五鬼継(ごきつぐ)・五鬼助(ごきじょ)・五鬼上(ごきじょう)・五鬼童(ごきどう)・五鬼熊(ごきぐま)の五家があり、今は五鬼助さん一軒が小仲坊(おなかぼう)という宿坊をやっている。めったにこない山伏の世話だから、土日しか宿坊は開かない。その宿坊に泊まり、五鬼助さん親子とともに前鬼裏行場といわれる三重の滝にいってきた。
 行場は登山道と違い、楽に歩けるようにつくられているわけではない。山伏の姿をした五鬼助さん親子の案内で大雨で流されてしまった険しい道なき通をいき、橋がかかっているわけではない渓流を渡った。ズボンの裾をめくると、山ヒルがいっぱい吸いついていた。まさに険しい行場であった。

絵:山中桃子
BIOS Vol.46 05.09.20