北見発<ラジオ深夜便>
 一月終わり頃の一年中で最も寒い時期に、北海道の北見に向かった。知床で流氷のくるのを待っていたのだが、網走沖あたりまできているにもかかわらず、姿は見えない。波打際のあたりはシャーベット状の氷ができていて、海は冷えている。そこまできているのに待ちきれず、北見にいったのである。
 NHK北見放送局で放送する(ラジオ深夜便)に、私は出演することになっていた。北見の街は雪に覆われ、凍えていた。昨年は百年に一度ともいわれる大雪が降り、道が通れなくなるやら車が埋まるやらでニュースになっていたのだが、今年はそのようなことはない。しかし、やはり街は雪の底であった。私には昨年の夏にも訪れた街である。北国は夏と冬の表情がまったく変わり、それが楽しい。
 ホテルで食事をとり、部屋で原稿などを書いて時間がくるのを待った。人が寝静まるような時間に、仕事がはじまるのである。時間がきた。私は知床で着ていたダウンのコートを羽織り、ホテルを出ると、玄関先にNHKさしまわしのタクシーが待機していた。ホテルの玄関からタクシーまでのわずか数メートルに、私は北国の冬の厳しさを感じる。
 街の中はそれでも人が歩いていた。酔って、あちらの店こちらの店とさまよっている人たちもいる。北国の街には、もちろん北国の街の日常があるのだ。NHK放送局は同じ市内にあり、夏ならば歩くところなのだが、寒いし道は凍っているし、やっぱりタクシーになる。
 放送局は玄関が閉まっていたので、裏口からはいった。建物全体が暗いのだった。エレベーターを使い、ラジオ放送をする階にいくと、人がいてようやく放送局らしい雰囲気になってきた。スタッフも小人数でしんとした感じが、<ラジオ深夜便>の文体ともいうべき空気だ。スタッフはやるべきことをきびきびとこなしている。
 打ち合わせはごく簡単である。台本はできているとはいうものの、話の内容の欄は空自で、私の部分は私にまかされている。決められているのは、時間の枠だけである。話す時間もたっぶりある。そこがラジオのよいところだ。
 放送時間が近くなり、台本の紙と、お茶のはいった紙コップを持って、アナウンサーと二人でブースにはいる。タイムキーパーはアナウンサーがしてくれるから、私は語るべきことを語るだけである。
 私が知床に中古のログハウスを買ってから、二十年近くになる。この間知床の人たちと深い交わりをしてきた。結婚式といえば仲人を頼まれ、葬式といえば飛行機で駆けつけた。農家ではともにトラクタ一に乗って種を蒔き、漁師の船にも数限りなく乗せてもらって網上げの現場にもいった。兄弟の付き合いをしてきたのだ。だから知床については、語りたいことはいくらでもある。
 深夜の北国の街の放送局でマイクに向かって話しながら、私は二百二十万人といわれる聴取者とつながっている自覚があった。暗い部屋で一人じっとラジオに耳を傾けている人がいる。仕事で車を運転している人もいるだろう。その人たちに向かって語る一言二言は、黄金の言葉でなければ申しわけないとも思われてきた。もちろん私の語ることが黄金の言葉だというつもりはないが・・・。
 マイクに向かって話す声が、二百二十万人の耳に吸い込まれて脳に達する。一分一秒もおろそかにせず、その人たちに知床の心を伝えたいと私は願っていた。
 どんなに楽しくとも、時間は確実に過ぎていく。私の持ち時間は終り、裏口に配車されたタクシーに乗った。
「聞きましたよ」
 しんみりした声で運転手がいう。放送の間、この人とも精神がつながっていたのである。ホテルの前が工事中で、少し離れたところでタクシーを降りた。寒気が頬(ほお)を打った。そういえば北見ほマイナス十七度とさっき放送していたなと、私は思い出す。
「ラジオ深夜便」2005年5月号NHKサービスセンター