二十歳の父の写真
 父の写真をもらった。写真の裏面にはペン字でこう書いてあつた。
「昭和十三年四月二十三日
   松原写真館
    横松仁平 二十才」
 若々しい二十歳の父の表情は、未知の時代をこれから生きていこうという不安と希望とが混沌としていて、それが若々しい気分をつくっていると思えた。思いがけず父の写真をくれたのは叔母さんで、父の妹である。叔母さんは父の写真に父の思い出の書きつけを添えて私に渡してくれながら、こういった。
 「私も80歳を過ぎたから、身辺を整理しておこうと思うの」
 自分がいなくなったら、兄の記憶を持つ人もわずかになり、その写真も粗未に扱われるかもしれない。叔母はそのように考えたのだろう。病気をしたため力の弱った字で、便箋にはこう書いてあった。
 「母かたの親戚で堀さん(たぶん上野駅長)と云ふ方の世話で鉄道に入りました。二等車のボーイとかときいて居ました。父がよく仁平も待遇のよい処へ入社出来てよかったと云って居た様でした。堀さんには子がいなかったので養子にと云われていた様におぼえています。
 それがいやで退社し、日大の夜学に入り、安田銀行へ。その後中国へ渡り、済南、鳥羽洋行の会社へ…」
 国鉄にはいったということを、長男である私ははじめて聞く。親のことでも知らない部分は多い。叔母さんが急に写真と文章をくれたのは、小説家である私への思いがあるからだと感じた。昔のことを書いて残してほしいという気持ちなのだろう。
 中国の済南で徴兵され、命からがら焼土の宇都宮に帰ってきた父を書くということは、昭和と向き合うということだ。もちろんそのことは私の視野にはいつている。近く書きはじめたい。

絵:山中桃子
BIOS Vol.40 05.03.20