おかげさま「宇都宮・二荒山神社」
 栃木県宇都宮市で生まれ育った私は、初詣はこ荒山神社にいったものだ。除夜の鐘の音を聞きながらの時もあれば、父親に手を引かれ眠い目をこすりこすり御来迎を見物にいったこともある。初日の出を迎えにせっかくいっても、もちろん曇っていて見ることができなかったこともある。そんなことを思い出しつつ、宇都宮の中心地の小高い丘の上にある二荒山神社について調べてみた。
 栃木県には二つの二荒山神社があり、両者は系統がまったく違うので、関係がないといえばない。
ーつは日光の二荒山神社である。奈良時代末に勝連上人か大谷川を渡って二荒山大神を祀ったところからはじまった、神仏習合の修験の道場である。奥宮は男体山山頂で、男体山や中禅寺湖のある奥日光は観音浄土である捕陀落(ほだうく)とされた。
 宇都宮の二荒山神社の起源はもっと古く、第十代崇神天皇の時代にさかのぽる。学問上では崇神天皇を実在の初代天皇とする説があるが、実在を疑う説もある。御肇国天皇といい、また御間城入彦五十瓊殖天皇とも称され、一族に「いり」という文字がはいるものが多い。宮は大神神社のところにあり、大和盆地でも最古の大規模前方後円墳か集中している三輪地方にあった。イリ王朝、三輪王朝の創始者であるともされる。
 宇都宮二荒山神社の祭神は豊城入彦命で、「いり」の一族である。「日本書紀」の崇神天皇四十八年の条には、このような物語が描かれている。
 崇神天皇は豊域入彦命と活目入彦命に勅して、「お前たち二子とも我が慈愛は同じで、どちらを日嗣にするかわからない。それぞれに夢を見るがよい。朕はその夢で占う」といった。二人の皇子は沐浴して身髪を清め、神に祈って眠り、それぞれに夢を見た。夜明けに、兄の豊城入彦命が、天皇に奏して夢の話をした。「私は諸山に登り、東に向かって八回槍を弄び、八回刀を撃った」といった。弟の活目入彦命は「私は諸山の嶺に登り、縄を四方に張り渡し、粟を食べる雀を追い払った」といった。天皇は二つの夢をくらべ、「兄は一方向、東に向った。まさしく東国を治めるがよい。弟は四方すべてに臨んだ。朕の位を継ぐがよい」といった。
 こうして活目入彦尊は皇太子に立ち、後に十一代垂仁天皇となった。豊城入彦命には東国を治めさせ、上毛野(群馬)君、下毛野(栃木)君の始祖になった。日本武命の伝訳は、十二代景行天皇の時代のものである。豊城入彦命は日本武よりも早く東国に下ったということだ。その四世孫の奈良別王が下毛野国の国造と任ぜられた時、祖神として豊城入彦命を祀ったのが二荒山神社のはじまりである。
 下野国一之宮の二荒山神社の歴史を、こうして改めて調べてみて、私ははじめて知ったことが多いことに気づいたしだいである。
知恩2004年3月号