古稀とディズニーシー

 古稀のお祝いの招待状をもらった。 古稀とは七十歳で,「人生七十古来稀なり」の杜甫(とほ)の話からきている。
 古稀になる人は有馬頼底さんで、臨済宗相国寺派の管長である。京都仏教界理事長で、金閣寺と銀閣寺の住職でもある。私の文学の師が故有馬頼義先生で、我が師匠と従兄にあたる。その縁で私は知り合うことができたのである。
 有馬家は九州の久留米藩の藩主で、明治になってから華族となった。私の師匠の父上は近衛内閣の農林大臣有馬頼寧(らいねい)氏で、戦後は戦犯となり、その後日本中央競馬会会長となった。有馬記念レースにその名をとどめているのである。
 そんな緑があり、私は有馬頼底さんと親戚のような付き合いをさせてもらっている。その頼底さんの古稀のお祝いなら、私は真っ先に駆けつけなければならない。ところがお祝いの場所は、東京デイズニーシー・ホテルミラコスタというのだった。
 一瞬、私は招待状を見る我が目を疑った。京都の禅僧と、東京ディズニーシーと、どうしても結びつかなかったり私は自分の子供が小さな頃には何度も東京ディズニーランドにいったものの、そのようなテーマパークに興味はまったくなくなっていた。ディズニーシーができたと新聞で読んで知ってはいたが、いこうとまでは思わなかった。
 古稀のお祝いと、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタと、どうしても結びつかないのだが、親しい人のお祝いなので、私は妻と電車に乗った。心なしか妻は浮き浮きしているようであった。
 東京ディズニーランド界隈は、昔とずいぶん違っていて、戸惑うことばかりだった。JR舞浜駅からディズニーリゾートラインと呼ばれるモノレールに乗り換え、東京ディズニーシー駅で降りる。夕闇に包まれた東京ディズニーシーはまさに別世界であったが、なんとなく私は落ち着かない。自分でもおどおどしているのがわかり、居心地が悪かった。子供のように楽しむ気分にはなれなかったのである。
 古稀のお祝いの会場となっているレストランの窓から、東京ディズニーシーの港が見えた。穎底さんは海賊の帽子をかぶり、上機嫌で現れた。「きのうからやってきているんだけど、今日一日たっぷり楽しみましたよ。ここは一切手を抜かないから、本当に楽しめる。地球の中心の地獄の底に真っ逆様に落ちていくやつ、一瞬肝が冷やされたが、あれは大いに楽しかった。わっはっはっはっ」
 頼底さんが心から楽しそうに豪快に笑った。まわりの人の説明によると、頼底さんは心から楽しんだという「センター・オブ・ジ・アース」は、地底探検をしながらトロッコで走りまわる、東京ディズニーシーで最も恐ろしいアトラクシ∋ンなのだそうだ。心臓が悪い人や気の小さい人は、乗らないほうがいいということである。
 親しい人ばかりが集まったパーティーは、大いに盛り上がり、大いに楽しかった。そして、私は自分自身を大いに反省した。一生懸命になって人を楽しませてくれようとしているところにきたのだから、難しいことをごたごた考えないで、ただ楽しめばよいのである。斜に構え、子供のいくところなど自分のいる場所ではないなどと考えるのは、むしろ自我丸出しではないか.そんな強張った自我など捨てて、子供の国にきたのなら子供になって楽しめばよいのである。なんと私は未熟であったのかと、恥ずかしい気持ちで思わないわけにはいかなかった。
 頼底さんはといえば、その場にいた子供にミッキーマウスの帽子やら、アラビアンナイトの帽子やらを頭に乗せられ、ビニールの剣を持たされて、にこにこしている。まるで良寛さんみたいなのであった。
 ホテルミラコスタに泊まった妻と私は、パスポートチケットを持って一日ディズニーシーを歩きまわった。人気のアトラクションでは行列をしなければならず、それは嫌だと中にはいる前には思っていた。
しかしここはそういう場所なのだと思えば、不思議なことに行列をすることも苦痛ではない。
 頼底さんおすすめのコースを歩いていくことにし、まずアンコール劇場にはいると、ブロードウェイ・ミュージック・ショーを見ることができた。歌手もダンサーも、なるはど笑顔を絶やすこともなく、まったく手抜きをしていない。なんだかんだで、主だったアトラクションはおおむね見た。ただし、地獄の暗闇に真っ逆様に墜ちるという「センター・オプ・ジ・アース」だけは、前までいってやめておいた。思いがけず楽しい一日であった。