注文を取らない料理店
 新幹線がやって来ると、全国どこでも同じ規格品になる。駅からはじまり、駅前がつくられ、なんとなく似てくる。便利になるのだが、それと引き換えにしなければならないこともある。前にも私は八戸にきたことがある。その時には駅前にしかいず、食堂に入ってビールを飲み、それだけで帰ってきた。小さな街だなという印象だったが、今回は変わった。実は駅前は市街地からずっと速くにつくられていた。明治時代に鉄道が通るとき、伝染病や囚人が鉄道とともにやってくると恐れられていたので、駅は市街地から遠いところにつくられたのである。
 夜、ホテルで原稿書きをん、知らない街にきているのだからと眠る前に外にでた。ホテルでもらった地図によれば、賑やかなのは番町や十三日町や十六日町というところだ。飲み屋が赤灯をあげてならんでいた。どうせ一人でわからないのだから、適当に古そうな店に入った。「番屋」という、私にとっては懐かしいような名前の店である。
 郷土料理で日本酒を飲ませてくれる店だ。親父と息子がカウンターの中で客の注文に忙しそうに応じている。
「熱燗一本に、何か魚の焼いたものでも」
 私がいうと、息子が応える。
 「カレイとホッケとイワシがあります。全部地のものですよ」
 「それじゃあ、イワシ」
 こうして私はカウンターの偶に座り、手酌でちぴちぴやりながら、背中で人々のざわめきを聞いていた。やがて太った人の良さそうな親父が前にきて、いろいろ話しはじめる。私は市民の読書会と市民大学に講師に招かれてきたのである。親父は蒸しウニを持ってきた。他の客のところに運ぶのかと思ったら、私の前に置く。
 ホッキ貝の貝毅の上にウニが山盛りにしてあった。八戸の名物はウニなのである。
「このへんじゃ、こんな風にして食べてます。ウニは一年中とれるから」
 うまそうなので、私は食べた。注文したわけではなかったが、後で勘定は払えばいいと思ったのである。うまいものを見逃すのは損なのである。
「今年は金賞をとったから。味見してください」
 親父は茶碗にいれた冷酒を私の前に置く。なんの金賞かよくわからないにせよ、馴染みの地酒が今年は出来がよいということなのである。それならば飲まなければいけないだろう。まわりを見れば、燗酒を飲んでいる人はいない。みんな冷酒をちびちびやり、談論風発している。
「ようやくイカが旬になったよ。これをたべてもらわなくちゃ」
 親父は私の前にイカ刺しを置く。八戸のあたりはイカがうまいのはよく分かる。しかし、私はイカ刺しは注文していない。親父が歓迎してくれているのはわかるが、一介の旅人としては用心もする。やがて私の頼んだイワシの焼き物が出された。私はイワシを箸でつつきながら熱燗でちぴちぴとやり、一本か二本飲んで、そのままホテルに帰って眠るつもりであった。翌日は宮沢賢治講演会に呼ばれ、花巻に行く予定である。 そうこうしているうちに、親父はこの酒がいいんだといって、別の冷酒をくんでくる。まわりの人たちは帰りはじめ、空席がちらほらとできてくる。三人連れの新しい客が入ってくるのだが、あと十分間しかないからといって、親父は帰してしまう。閉店時間は午後十一時なのだと私にもわかる。
 親父は私の前に立ち、私の著作をあれやこれやとならべていい、読んでいるといった。本当にありがたいことだ。私は別に名乗ったわけでもないのである。親父と話し込みはじめていた。親父は若い頃は漫画を描き、全国的な同人誌を出し、名高い漫画家と仲間であったということだ。今は詩を書き、書をやっている。そんな話は楽しいのであった。
 時計を見ると十二時になっている。他に客は誰も
いない。私は盃を置いていう。
「長居しちゃったな。計算してください。食べたもの飲んだもの全部代金を払いますから」
「なにいってるの。注文もしないのに、勘定だけもらうわけにはいかないじゃないか」
 親父は笑顔で言い、私は熱燗一本とイワシ焼きの代金を払って外にでた。