2002年5月

上等な楽しみ

五月はいい季節である。五月三日に仲間たちと集まる約束をしていたので、私は、東北自動車道を車をとばして前日に妻と宇都宮にやって来ていた。いつも経験することであるのだが、高速道路というものは時間を間違えると、ひどい渋滞の中に巻き込まれて身動きがつかなくなる。交通情報と、長年の経験しか、役に立つものはない。
 五月二日は休日ではないが、都内の首都高速道路が空いている。ほとんど渋滞らしい渋滞もないままで東北自動車道路の浦和料金所を過ぎ、二時間足らずで宇都宮の家に着いた。電車で行く時にはほぼ一時間前に東京の自宅を出て東京駅に向かうから、宇都宮駅から家までの時間も計算に入れれば、新幹線よりも早いことになる。
 まして今回は、ワゴン車に積みきれるかどうかという大荷物であった。東京の自宅と事務所に、私の書いた本がたまりにたまり、置き場所もないほどになったのである。それぞれに十五冊ほど手元に残し、あとは段ボール箱に整理した。その段ボール箱が十数箱になり、それをワゴン車の中に押し込んできた。
 空いている空間は、運転席と助手席ぐらいのものである。シートを後ろに下げることもできない。車は本当に力持ちだなあと、感心しきりである。ハンドルを持ち、アクセルを踏んで、少々重いかなあという感じはあるものの、へばる様子もなく走る。
 五月三日は空は素晴らしく晴れ渡り、日光の山々がよく見えた。宇都宮の田川水系では、北から順に水が供給され、田んぼに水が導かれ、田植えの進み具合が良くわかる。その水の流れを溯って、私と妻とは宇都宮の北に向かっていっく。仲間たちが集まる仲間の山荘は、宇都宮の最北部の飯山というところにある。
 渋滞のため、宇都宮市内を抜けるのに、思いがけない時間がかかってしまった。外環道路を通ってきたのだが、思いがけないほどに多様な大型店がならんでいて、改めて驚いた。全国どこの地方都市にもいえるのだが、中心部が空洞化してしまっている。古いビルや家が壊され、相続税の関係なのか新しい建物は建てられず、駐車場などの平面的な空間となっている。空地といってもよい。その反面、郊外が賑やかになっている。郊外店は全国チャーンが多いので、どの地方都市にいっても同じ顔になっている。地方都市がつまらないといえる。宇都宮も例外ではない。
日光街道の桜並木の下を、北へ北へと走っていく。少し前なら、この並木を桜で見事であったろう。この緑の濃さが、なんともいえず嬉しいのである。
 信号があり船生街道を右に曲がる。まわりは広々とした田んぼで、水が張ってあり、すでに田植えは終わっている。水に空の色が写り、空間が倍になったように感じる。天と地の間を走っていく、気持ちのよいドライブである。
 野の中にぼつんとある古い火の見やぐらを過ぎて、田んぼの中の道を少し行くと、車がたくさん止まっているところがあった。竹林と梅林との間に、仲間の山荘がある。多勢が集まっている。私は梅林の中に車を止めた。梅の実が緑色にふくらんでいるのが、幾つも見えた。
 片側は田植えのすんだ田んぼで、農家の屋根が輝いている。五月の光が、あっちでもこっちでも美しい色をためている。竹林では竹の子が幾つも頭を出し、掘っても掘っても間に合わないほどである。竹の子はほるのもともかく、食べられるようにするまでの手間が大変なのだが、季節の味としてはいいものだ。
 ベランダにも、梅林にも人がたくさんいて、ビールを飲んでいる。妻はさっそく妻たちのいる山荘にはいっていき、私は梅の木の下でビールを飲んだ。私は、予定の時間に少々遅れてしまったので、みんなはすでに相当飲んでいるのである。ビールもうまいが、私は持参したとっておきの日本酒をいただく。
 みんながいろいろな料理を持ち込んでいた。私は北海道から送られたギョウジャニンニクを醤油漬けして持ってきた。これは珍しいので、みんなが争って食べた。
 宮園町の酒場水月のヒデちゃんが、天麩羅を揚げていた。日光の金精峠から採ってきたタラの芽、シロキ、三つ葉、セリ、菜の花、柿の葉に片っ端から小麦粉をまぶし、油にほうり込む。花瓶に生けてあったアジサイの花も、天麩羅にする。思いついてギョウジャニンニクも天麩羅にした。揚げたてのせいか、どれもうまかった。
 日はまだ高いので、これからまだまだ飲むことができる。なんと上等な楽しみであろうかと、私は嬉しくなる。
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