雨の京都の難儀

イラスト:横松桃子
「仏教というのは、万像森羅なり」
 草花の「正法眼蔵」にでてくる言葉である。最近、私は日本の思想書の中でも最も難辞な「正法眼蔵」を、時間を見つけてはページを開いている。
 難解な本というのは、読めば読むほど慈味がでてくるものである。一生読みつづけられる本に出会うということが、人生の上では貴重なことなのである。
 その道元と間連して、対談をするため京都にいった。対話の相手の岩田露治氏は、人類学の大学者であられる。最近「道元との対話--人類学の立場から」という本書出版きれ、その本をめぐりての対話である。岩田氏は御高齢なので、私が京都に出かけていったのであった。
 ホテルの都屋から東山が見えた。岩田氏の家は東山の銀閣寺の近くでという話になり、窓から眺めたのだが、建物の陰になって見えなかった。雨が降ったりやんだりしていた。今年の梅雨は、しとしと雨になるというのではなく、熟帯地方のスコールのように短時間で激しく降る。いつもの梅雨とも違う。これも二酸化炭素が増えたからなのだろうかと思ってしまう。
 対談は無事終り、ホテルの外にでた。ちょうど雨は上がっていたが、今にも降りだしそうである。濡れた歩道を一人で歩きだす。
 京都市役所の前を通り、本能寺を過ぎて、寺町通りにはいった。水曜日のなんでもない午後だったが、戸を閉めている商店が多かった。これも不況の影響なのだろうか。小さな商売をしている人にこそ不況の波はきつく当たっている。そんな風景を見すぎているせいか、京都もなんとなく元気がないように感じられる。
 古本屋にはいった。本がならんでいる前にくると、素通りできないのである。ざっと書架を見て何冊もほしい本があったのだが、道元「正法眠蔵」全巻など重い本を何冊もリュックに担いでいたので抑制する気持ちが働き、神谷満雄著「鈴木正三--現代に生きる勤勉と禁欲の精神」一冊だけを買う。江戸時代初期の禅僧鈴木正三は、天草の乱の後の荒廃した島原にはいり、「万民徳用」という書物を記し、農業であろうと商業であろうとすぺての無業が仏道修行であると説いた人である。私はいつか鈴木正三のことを書こうと思っているのだが、資料が極端に少ない。いつ書きはじめるかわからないにせよ、資料は目についたら買っておくのである。
 寺町通りを歩いていき、なんでもない大衆食堂にはいった。トンカツ定食とスブタ定食とカツ丼しかない。スプタ定食を頼んだ。もう夕方に近いのだが、今日は新幹線の中でサンドイッチを食べただけだった。こんな古臭くて特徴もない食堂には、若いものは、はいらないであろう。案の定、おばさんが一人カツ丼を食ぺているだけだった。
 新京極にくると、若ものの姿が目立ちはじめた。大雨が降っていた。路地にはざあざあと雨が落ちているのだが、新京極の商店街はアーケードができている。
 私はこれから大阪にいかねばならない。
大阪までは京都駅からJRの通勤快速に乗るのであるが、ちさつど帰宅のラッシュアワーにかかってきた。それにこの雨で、なんだか憂鬱ではある。
 アーケードの突き当たりは四条通りで、工事中であった。道はひどく渋滞していた。工事現場のランプが点っている歩道に、タタシーが一台止まっていた。タタシーの脇にいくと、傘をさした運転手が外から帰ってきたところで、ドアを開けてくれた。タタシーは渋滞の道にでた。
外は大雨なので、なんだか私は救われたような気がした。運転手が人なつこそうに話しだす。
 「今、子供を保育園に送ってきたところですねん。小学校一年生の女の子と、五歳の弟です。毎日四時半に保育園に通りとどける契約です。普通ならこんな契約せんやろけど、うちの会社は福祉に力をいれてますさかい、よう断われませんやろ。−回二千五円の契約ですねん。下の子は一日に保育園二つですわ。お柿ちゃんが小学校から歩いていって、公立の保育園で待っとるんや毎日私が迎えにいくから、顔はようわかっとります。私以外には保青園では子供を渡しやしません。こんな商売やから、いかれしません時もありますやろ。代わりの運転手がいく時は、証明書持ってかななりません。
 保育園いうても私立で、マンションの一室ですねん。いったらすぐ食事して、テレビ見て、お風呂いれてくれます。保母さんは二人はいますなあ。親か迎えにいくのは十一時頃だそうですわ。家に帰っても、もう寝るだけやいうてはりました。うちは二十回としても、十万円ですやろ。保
育園も一人三万円は払うてるはずですわ。なんやかんやで一と月二十万円以上かかるんと違いますやろうか。これでは、一人分の稼ぎはのうなってしまうわ」
 道路は相変わらず身動きもつかない。
大阪はただ泊るだけだから、私は急いではいないのである。運転手はしゃべりつづける。
 「私は子育ては終わってしまいましたが、難儀やなあ。こんなに苦労して子供を育て、グレてしまったらパアや。母親は看護婦やて。お父ちゃんはって聞くと、カイシヤというだけや。私らそれ以上よう詮索しません。親も生きなならんし、子供は産んだ以上育てんなならん。子供は大きくなるからよろしゅうおますが、親は若いと思っても年とつていくんや。難儀やなあ」
 私の記億に残った言葉を再現したので、京都弁は正確ではない。まあこんな話をして、私の気持ちは暗くなった。保育園は、公的になんとかならないのだろうか。
 京都駅のタタシー降り場には屋根はない。馬鹿でかい駅舎の下まで走るうち、私はずぶ濡れになった。大阪までの通勤快速の電車も濡れた人たちで満員であった。