腹巻きを買って宗次郎と会う

イラスト横松桃子
 宗次郎と対談をすることになっていたその朝、宇都宮の西原小学校と一条中学校で同級生という女性に頼まれ、千葉県柏市で講演をすることになっていた。彼女は柏市の教育委員会に勤務し、私は小中学校の先生を相手に話すのである。三十五年ぶりに顔を合わせると、遠い記憶がある。彼女はおとなしくてあまり日立たなかったのだが、確かにいた。ちゃんと話す時間はなかったのではあるが、ああ同級生だなあと思ったのであった。
 講演が終わると急いで常磐線の電車に乗り、北千住で東武線に乗り換え、浅草にいった。駅前の食堂でラーメンを食べ、浅草公会堂にいって、今度は全国の保母さん千人に向かって話した。テーマは自然のことということであるが、同じ話をすると話しているほうで飽きてしまうので、まったく別の話をした。この後、浅草ビユーホテルで宗次郎と対談をする予定になっていた。宗次郎の事務所は浅草にあるから、お互いの便利を考えたのである。先に「タウン誌うつのみや」の門脇滋が宗次郎にインタビューをしているはずだ。
 急いで講演を終らせたわけではもちろんないが、浅草公会堂をでると約束の時間まで少々間があることに気づいた。浅草寺の観音様にお参りにいき、六区あたりをぷらぶらする。ほおずき市とか、羽子板市とか特別の行事がないと浅草の人の出は少ないのだが、その分古い浅草の雰囲気はよく残っている。
 「どうだ。時計買っていかねえか。千円でいいぞ」
 屋台の親父がぶっきらほうに声をかけてくる。私は成田空港で買った千二百円の質素な時計をしている。ごてごて飾りのついた千円の時計はいかにも安物で、すぐに壊れてしまいそうだ。
「ライターはどうだ。二個千円でいいぞ。どうだ、格好いいライターだろう。これ持ってれば、女にもてるぞ」
 私が時計に興味がないと知った親父は、今度はライターを売りつけようとする。煙草を吸わない私は、ライターにはもっと興味がない。私は腹巻きを手にとる。子供の頃は寝冷えすると母にいわれ、暑いのに寝る時には腹巻きをさせられたものだ。最近の子供は腹巻きなどしないなあと考えながら、私は値段を開く。
「八百円だ」
「じゃぁもらおう」
 私は千円札をだして二百円のおつりをもらいながら、二枚千円に値切ればよかったなあと考えていた。腹巻きは使うつもりもないのだし、いらないものを買ってしまった。宗次郎も門脇も腹巻きが似合うだろうなと考えながら、私は陸橋を渡って浅草ビユーホテルにいった。浅草の街が見渡せる部屋である。
 宗次郎と対談をしたのはもう何回目なのか、よくわからない。宗次郎と知り合ったのは、ひょんなことからだった。私がつくっていたテレビ番組の音楽を、選曲者が宗次郎のCDからとって使った。そのCDは市販されていて、後で使用料をおさめれば法的にはなんの不都合もない。ところがその曲は別の大型番組のテーマ曲で、宗次郎の事務所からクレームがきた。
 ディレクターが会いにいくと、宗次郎は実は私たちのつくつている番組のファンだということだった。それなら私たちの番組のために曲をつくってもらおうということになり、それ以降宗次郎の曲が私たちの番組でひんばんに流れるようになったのである。
 宗次郎の曲を使うにあたって、彼と私と番組で対談しようということになり、彼の事務所のスタジオで初めて会った。無口な男だった。何をいってもはかばかしい返事はなく、私一人でしゃべっている格好になった。音楽家なのだから、いい音楽さえつくればよいわけで、別におしゃべりである必要はない。
 その後少しずつしゃべるようになり、今ではおしゃべりとまではいかないが、普通にしゃべる。 ステージでは語りもいれなければならず、苦労しているのだろうなあと思ったものである。しかし、今回の対談でわかったことなのだが、当時は事務所のほうからしやべるなといわれていたとのことである。イメージの戦略があったからなのだろうが、事務所というものはそこまでするのかと思うのである。結局宗次郎はその事務所からでることになる。
 私は宗次郎とツアーをしたことがあった。今はなくなってしまった北海道拓殖銀行の主催で、釧路と札幌で宗次郎の演奏の合い間に私が話をしたのだ。釧路から札幌に移動する間に、一日だけ休みがある。それで知床にきてもらい、同じようなコンサートを開催した。私は知床をベースにしたソーラーカーのレーシングチームを持っていて、資金が必要だつたのだ。その資金稼ぎのために仕組んだコンサートだつた。宗次郎は安いギャラで引き受けてくれ、コンサートは大成功をおさめたのである。
 宗次郎はすっかり知床が気にいり、地元の人たちのすすめもあって、山小屋を建てた。山小屋は作曲をするインスピレーションにもかなり役立つたようである。CDのジャケットにも、知床やその近くの風景がずいぶん使われている。披は自然と交感することによって、音をこの世に導きだしているのである。彼の音に、私も触発される。しょつ中会っているわけではないのだが、いい仕事をしてくれれば、私も嬉しいのである。
 街を歩いていて、宗次郎のオカリナの曲が風のように耳に触れてくることがある。商店街のスピーカー、喫茶店のバッググラウンド・ミュージツタ、テレビ、ラジオから宗次郎の曲が流れてくると、私は自然を呼吸したような気になる。多くの人が私と同じように感じるのだろうと、私は思う。