台風のあとさき

イラスト横松桃子
 台風三号がやってきた時、私は福岡県から長崎県にいた。大牟田から諫早にでて、大村にある長崎空港から飛行機に乗り、東京に戻る予定であった。有明海をめぐるテレビの取材をしていたのだ。
 台風情報はどこにいようと、テレビを点ければ刻々と伝えられてくる。今回の台風は小笠原から伊豆七島沿いに動き、東京に上陸するというものであった。通常は沖縄から九州に上陸するもので、変則的な動きをしているといってよい。
 梅雨の季節にもかかわらず、九州地方は真夏に近い晴天であった。熟と光とが空から降りそそいでいる。有明海を旅し、全身日焼けしつつ、私は夏の旅を大いに楽しんだ。そうしていながら、遠くの台風情報を身近なものとして聞いていた。羽田空港が暴風圏にはいり、飛行機が欠航になるかもしれなかった。もしそうなつたら、予定が狂って大いに困るのだ。
 早目に長崎空港にいったら、十八時三十分発のJALはすでに欠航となっていた。だが最終便の二十時発のJALは飛ぶということで安心した。安心ついでに食堂にはいり、ビールを飲む。
 長崎空港発二十時である。 いくら夏とはいえ、空は暗い。飛行機の機内では自然と原稿用紙をひろげ、書きものをする。はじめは快適だったのだが、東京に近づくにつれ揺れて揺れて、ペン先を思うように動かすことができなくなった。台風に近づいていっていることが、実感された。
 到着してみると、飛行機は一時間遅れていた。夜の空港は水びたしだ。雨が渦巻いて降りかかっているのが見えた。雨の底で人が動きまわっている。飛行機が何機も延着しているのであろう。
 荷物をとってタクシー乗り場にいくと、短い列ができていた。そこにトランクを引いたおばさんがやって来て、前後左右も見ず、横についたタクシーに乗り込んだ。おばさんには悪意はなく、ただまわりが見えていないだけなのである。私は文句をいわなかったし、誰も何もいわなかった。だがおばさんはトランクを道路脇に置いたまま、自分だけ乗り込んでしまった。怒った顔で運転手が車から降りてきて、荷物をトランクに積む。運転手の服はたちまちずぶ濡れになった。
「飛行機は遅れてますか」
私が乗ったタクシーの運転手は、走りだすなりいった。
「遅れてますよ。もう一回ぐらい戻れるんじゃないですか」
 もう一度羽田にとって返して客待ちができるかどうか運転手が時間の計算をしているのだと気づき、私はいう。雨は右からも左からも渦巻いて降りかかっている。
「いや、もう無理でしょう。これじゃ盛り場にも人はでていないなあ。みんな帰っちゃったでしょう。ぼくは朝の八時まで車にいなくちゃならないんだけど」
 高速道路は渋滞というほどではなかったが、のろのろとしか進まなかった。
「昼間の渋滞はすさまじかったなあ」
 運転手が一人言のようにしていう。風で持ち上げられるように、車は時々ふわっと浮かぶ。雨と風とが東京を洗っているようにも感じる。
 久しぶりに家に帰り、風と雨の音を聞きながら眠った。翌朝起きて雨戸を開けると、空は晴れて太陽が射していた。まさに洗ったような光であった。
 朝食をとる時間もなく、近くの目黒駅まで歩き、電車で東京駅にいった。台風の痕跡はもちろん何もない。人は澱みなく流れ、時間も澱みもなく流れる。
 東北新幹線のなすの号に乗った。伊豆から関東に上陸した台風は東北地方のあたりをうろついていて、まだ空に雲の騒然たる気配が残っていた。それでもところどころ陽が射し、青空はどんどんひろがっていく気配だ。
 宇都宮を過ぎるあたりから雲は厚くなり、太陽の姿は見えなくなった。夏の緑が美しい。雨が多く、太陽が照れば、これで豊作は約束されたも同然だ。
 那須塩原駅で降りると、係の人が迎えにきてくれていた。天気がよいので、係の人も嬉しそうな顔をしている。私は茶道の裏千家の集まりで、講演をすることになっていた。昨夜の台風で鉄道が止まり、くることができなかった地域の人もあるのだが、まず一泊二日の集まりは無事に開催されることになった。しかも、台風一過の清々しい空の下でである。車で走っていくと、那須野の緑が目に眩しい。あの嵐のことを考えると、解放されたような気分になる。
 りんどう湖の横を通った。土曜日の昼だというのに、駐車場はがらがらだった。台風の影響である。世間が台風から本格的に回復するのは、明日になってからかもしれない。
 会場のホテルは、着物の女性がたくさんいた。さすがに茶道の会である。華やかな雰囲気になっていた。茶を立ててもらってから、私は演壇に立った。話の内容は、千宗室御家元との不思議な関係のこと、禅のこと、自然のことである。法隆寺に毎年正月に修行にいっている私は、その御縁で京都の裏千家今日庵で開かれる初釜に呼ばれ、また中国の敦煌での献茶式に参加している。
 講演は無事に終った。再び私は那須塩原駅にいき、新幹線に乗る。今夜は宇都宮のホテルに泊まることになっていた。私が那須にいくことを宇都宮の友人が知るところとなり、帰りに宇都宮に寄って久しぶりに宴会をしようということになったのだ。
 まずホテルにチェックインし、書かねばならない原稿を書く。これから夜を徹して飲むぞと、ホテルをでる時に気合いがはいった。友の待つ酒場に向かう。