そうだ、日光にいこう

イラスト横松桃子
 日光にいこうということになつた。
理由はたいしてない。あるとすれば、緑の日光を見たいというぐらいのことだ。同行するのは、妻と娘である。
 話がまとまるにつれ、どこに泊まるかが問題になつた。今回は奥日光まではいかないようにして、二社一寺でも見物しよう。そうすると市内に宿泊することになるわけで、それなら日光金谷ホテルを奮発しようということになった。電話をすると、幸いなことに部屋はとれた。
 都内さえすいていれば、三時間もあればいくであろう。日光ならは、東武電車でいくのが最も便利であるが、そのへんを動き回ることを考え、車にした。
 不況のせいなのかどうか、この頃都内では絶望的になるようなひどい渋滞というのはめったにない。渋滞はもちろんしょつ中なのだが、固まったようにまったく動かないなどということはなくて、首都高速道ものろのろと動いている。その分だけ東京も暮らしやすくなつたということだ。
 その日、銀座も箱崎もあっけなく過ぎ、隅田川を望みながら快適にとばすことができた。常磐自動車道との分岐点も過ぎ、浦和インターチェンジから東北自動車道にはいると、ますます快調になってきた。土曜日だからこうなのだ。それに不況が追いうちをかけている。楽しんでも苦しんでも現実の中にいなければならないのだから、楽しんだほうがよい。
 北に向かうにつれ、緑の色が濃くなってきた。この緑を求めてきたのである。空も晴れ上がり、この緑の色によく似合った配色である。
 いつもは鹿沼インターチェンジで降り、宇都宮市内に向かうのだが、通り過ぎる。そういえば東北新幹線の電車に乗っていて居眠りをし、宇都宮のアナウンスを開いて思わず降りてしまったことがある。ホームに立って遠ざかっていく電車を見送ってから、私は仙台にいかねばならないのだと思い出した。
 宇都宮インターチェンジから日光自動車道にはいると、もうがらがらである。かつて日光街道はあまりにも渋滞がひどくて、宇都宮を出発して奥日光になどいつ到着するのかわからなかった。往復すると、深夜になってしまうことさえあった。そういえばいろは坂も一方通行ではなく、今下り用になっている一本の道で登り降りの対面交通をしていたのである。交通の形もずいぶんと変わったということだ。
 何度か小銭を徴収されてから、高速道路を降り、日光市内にはいった。かつて宇都宮から日光にいくには、国鉄日光線に乗ることが多かった。駅から上り坂になった商店街を神橋のあたりまでまっすぐ歩いていくのが、楽しみだったのである。この頃は車でいってしまうためか、商店も歯の欠けた櫛のようになり、散策の楽しみは薄らいだ。
 この頃の街づくりは、交通渋滞の解消ということばかりに重点が置かれ、道路拡張の方向に進んでいるように思えてならない。そのため、商店街に活気がでず、街が死んでいく。門前町日光は、まだいくらか古い家も残っているのだから、街まで含めた全体の観光を考えたらどうなのだろうか。二社一寺と奥日光は確かに素晴しいものの、街があまりに元気ない。
 そんなことをいっていると、「火の車」のママに怒られてしまうかもしれない。お好み焼き屋「火の車」は、東照宮の太郎杉で行き止まりになる坂のちょうど真中頃にある。後ろにファミリーレストランができてしまい、古い店が背後から押されているかのように見える。頑張れといいたいのである。
 「火の車」のママを知ったのは、私が宇都宮に住んでいた頃のことだ。私は「火の車」という題名の小説を書いたのだが、それは詩人草野心平さんが引いていた飲み屋の屋台のことである。また草野心平さんが商売をしていた酒場の名であった。草野心平さんは自分で率先して酒を飲んで酔っ払ってしまい、とるべき勘定もとらず、店をつぶしてしまった。これは文学史上の出来事である。
 私が小説「火の車」を発表してから、草野心平さんから名前をもらって営業をしている店があると教えてくれた人がいる。さっそく私は挨拶にいき、そこでママと知り合ったのである。もう二十五年ほどのつき合いになるはずだ。
「あら−つ、お久しぶり。よくきてくれましたね−」
 私が店にはいっていくと、ママはたいそう喜んでくれた。妻と娘とははじめてなのである。ママは自然保護派だ。同じ自然保護派の娘さんは、最近日光市議会議員になった。昨年私が例年どおり足尾で植林をして食事でもしようと寄ると、ちょうど選挙の投票日で店は閉まっていた。とにもかくにも、当選をしておめでたいのである。
 「火の車」でお好み焼きともんじゃ焼きをほどほどに食べ、日光金谷ホテルに向かった。このホテルの鱒料理は絶品なのだから、腹にはいる場所は残しておかなければならない。
せっかくだから、ワインもちょっとは飲みたいのだ。
 日光金谷ホテルは日本でも最古のホテルである。明治初年に日本各地を旅したイギリス人女性イザベラ・バードの「日本奥地紀行」にも、このホテルは登場する。
 カウンターでチェックインすると、白い制服を着た若々しいボーイが部屋に案内してくれた。今年はいったという新人で、誇りを持ってこの仕事をしている様子が気持ちいい。日光金谷ホテルに私は何度も宿泊したが、このホテルでは伝統のよさというものを感じる。このホテルも日光の自然のうちのひとつと思えてくる。