喜寿の祝い

イラスト横松桃子
 喜寿の喜は、古い書き方は「」である。喜寿とは七十七歳のことで、母がいよいよその年になつた。もとから住んでいる家に、母は一人暮らしをしている。私はさまよえる長男で、弟が近くで建築設計事務所をやっているものの、私としてはなんとなく気にかかるのである。
 正月に宇都宮の母の家にみんなで集まった時、母の喜寿の祝いをすることになった。相談して、たまにはみんなで温泉にいこうということでまとまり、その場で日頃懇意にしている塩原の和泉屋旅館に電話をいれた。予定の日はずいぶん先なので、三部屋の予約をとることができた。母は孫たちと眼るとすれば、三家族なのだ。
 父が元気で、子供たちが小さな時には、みんなでよく旅行をしたものである。私の父は子煩悩で、孫の面倒をよく見てくれた。私が忙しがっていると、私以外の家族をよく連れだしてくれたのである。つまり、私に代わつて私の家族をよく面倒みてくれたのだ。
 時の流れとともにみんな年をとり、子供たちは大人になつていく。前と同じということはない。父は亡くなり、私たちの前から姿を消した。こぅやって一人去り二人去り、やがて私の去っていく順番がくるのだろう。
 そんなふうに考えると、この一瞬一瞬が大切に思えてくる。母は健康で一人暮らしができるからこそ、今の暮らしの形を保っていられるのだ。何かの原因で母の一人暮らしが不可能になれば、このままでいることはできない。この一瞬一瞬は、どうしてもありがたいのである。
 塩原は新緑の季節のはずだ。母を塩原の温泉旅館に連れていくのは、弟たちに頼んだ。私たちは東京からくるので、渋滞に巻き込まれるかもしれず、到着時間が確かではない。普段私は半日ずれた生活をしているので、とうしても遅くなりがちなのである。
 妻と娘と私と三人で東京の家を出発する。娘は東京で運転をする機会もなく、ベーパ−ドライバーになりそうだ。こんな機会に運転をするべきなのだが、東京の道路は複雑で、車線変更も面倒であり、みんなストレスを抱えて運転しているのでとばす。頼局出発も遅くなり、当分は私が運転をすることにした。
 首都高速道路は、深夜でもなければ渋滞もなく走ることはできない。箱崎から隅田川に沿って走り、常磐自動車道と分かれ、浦和インターチェンジから東北自動車道にはいる。高速道路が全部つながったので、都心から宇都宮に向かうのも、ずいぷん楽になったのである。
 西那須野塩原インターチェンジの料金所を過ぎたところで、娘と運転を代わった。低速の安全運転なのだが、なんとなく恐ろしくて、助手席にいると力がはいる。つい先程まで助手席にいた妻は、さっさと後部席に移動している。三本松牧場を過ぎてから、両側の森の木がずいぶん伐採されたような印象を私は持った。危なっかしい運転の車で、緊張しながらだったのでよく見えなかったのだが、確かに森はずいぶんと傷んでいる。
 山にはいると、もみじなどの大木の新緑が美しく、塩原にきたなあという感じがする。子供の頃からきているので、塩原温泉の雰囲気を感じるのである。箒川の水もいつになく澄んでいる。あとでわかったことだが、三日ほど前に雷をともなう大雨があり、川がきれいに掃除されたということだ。
 のろのろした娘の運転なので、後ろにたくさんの車を引き連れている。センターラインは黄色で、追い越し禁止である。もちろん中には適当に抜いていく車もあるのだが、列が長くなるとそれもかなわず、行列はますます長くなっていくのだ。
 木の間に渓流が見え、塩原の名所である。私の好きなところでもある。
 しかし、景色を見る余裕はない。「後ろを気にすることないよ。マイベースでいいよ」
 私はこういって娘を励まし、とにかく走っていく。横にとまって後ろの車を先にやっても、すぐにたまってしまうので、このままいくことにする。法定速度を守っているのはこちらなのだから、なんらやましいことはないのである。後部座席の妻は、左に寄り適ぎだ、右に寄り過ぎだと、やかましいことこの上ない。
 そうこうしているうち、塩原温泉郷のうちの福渡温泉にある和泉屋旅館に着いた。夕方の気配が濃くなる前で、さっそく和泉屋主人の田代さん御夫妻の出むかえを受けた。なんとかかんとか無事に着いたのである。
 田代さんは川に面したいつもの部屋をとっておいてくれた。すでに弟夫婦が着いていて、母も風呂上がりの顔をしていた。
「お風呂いただいてきちゃいな、気持ちいいから」母は上機嫌にこういう。露天風呂は女性用の時間帯で、妻と娘はそちらのほうにいった。私は大浴場である。混浴ということなのだが女性がはいってくるはずもなく、水泳プールのような広びろとした浴場に私一人である。湯に身体を沈めると、遥ばるきたなあという気分になった。
 母の部屋にいくと、浴衣を着た娘が風呂上がりの顔で倒れていた。
「気持ちいい」
 娘はこういう。やっばり温泉は気持ちがよい。母の喜寿の祝いにかこっけて、こちらも温泉を充分に楽しんでいる。
 大広間に膳がならべてある。母を中心にして全員がならぶ。弟は子供二人を連れてきたので、総勢は八人である。これから酒盛りになる。母は酒を飲まない。やっぱり母の喜寿をだしにして、若いものが楽しみにきたということなのかもしれない。