「遠雷」から二十年

イラスト:横松桃子
 テレビ番組制作のための企画書には、こう書いてあった。
「鬼怒川や田川を始め幾筋も細流が走る宇都宮は、東京の近郊の地方都市の役割と美しい田園の里という二つの顔を持っていた。このバランスが時代と共に少しづつ失われ変貌した時代に、この地で育った一人の小説家が誕生した。小説家・立松和平が描いた宇都宮の風土を簡潔に伝えます」。
 CSの衛星放送で、番組名は「本をめぐる冒険−「遠雷」から二十年、立松和平が描き続けた宇都宮」というのだった。私の具体的な作品名でいうと、「遠雷」「春雷」「性的黙示録」、それにこのたび完成して出版した「地霊」である。「遠雷」から「地霊」まで実に二十年の歳月が流れた。作品の舞台になった場所は二十年の間に変わったはずで、その変貌を作品の流れとともに描こうというのである。
 私にとっては、この歳月を振り返るべきいい機会である。スタッフは数日間滞在するのだが、私は要所に立って作品のことを語ればよいのだから、一日ですむ。
 第一章 『遠雷』の心象風景と執筆の動機などを、著者・立松和平氏のインタビューを交え探訪する。
 第二章 『遠雷』から二部作の『春雷』へと続いた時代背景と宇都宮(日本の地方都市)的な背景の変貌を、著者・立松氏に『春雷』で描いたテーマを語ってもらう。
 第三章「宇都宮の風景(風土)から抜け出したような三部作『性的黙示録』と故郷の関連性(原風景)などを、著者・立松氏が語る。
 第四章 完結作『地霊』は『性的黙示録』から十四年後に発表された。
他の三作品と構想時間が大幅に違う理由と、『遠雷』から二十年たった宇都宮(故郷)に対する思いを、著者・立松氏が語る。
エンディング「構想二十年で完結した、小説家・立松和平の故郷で起きた人間ドラマ。戦後文学の担い手が捉えた原風景は、日本各地で起きているドラマであり、日本の今日である」。
 もっと細かな撮影台本はあるのだが、おおまかな構成台本はこのようである。つまり、私が語るのである。
りと語りをつないだり、語りの内容を描くために、ところどころ宇都宮の風景を撮影して挿入するのだ。
 その日、「遠雷」四部作を担当してくれた河出書房新社の編集者長田洋一もいっしょにいくことになっていた。「遠雷」が二十年前の作品なら、彼とはもっと長い付き合いである。三十歳の男が、五十歳になる歳月なのだ。ちろん、作品の登場人物たちも年をとっていく。歳月が過ぎていくということが、すなわち生きるということなのだ。長田洋一は私が宇都宮市役所に勤めている頃から、何度も宇都宮に足を運んでくれたのだった。
 宇都宮に撮影にいく日は、ちょうどセッちゃんのお父さんの告別式になった。トオルちゃんは私の宇都宮高校の同級生で、親しい仲間である。セッちゃんとトオルちゃんは夫婦で、すなわち二人とも私には親しい仲間である。お父さんはしばらく寝たきりの生活をしていたのだが、とうとういけなくなったのだ。そうなるまでには、激しい人間のドラマがあったはずである。
 長田洋一といっしょに乗る予定だった新幹線の時刻を私だけ少し早め、告別式の会場のアトラス宇都宮ホールというところにいった。私はどこにあるかわからなかったのだが、タクシーの運転手が無線で営業所に問いあわせてくれ、すぐにわかった。地図を見る名人がいて、どんな場所でも適格に教えてくれるのだそうだ。
 告別式の会場には仲間の顔があった。焼香をすませ、私はディレクターの携帯電話に連絡する。ディレクターは少し遅れてきた長田洋一をピックアップしてから、私の都合にあわせて近くの工業団地で撮影していた。そのために簡単に合流することができた。
 私が話す場所は、前日のロケハンによりすべて決めてあった。私はもちろん土地勘もあり、私なりの都合の場所もあるのだが、すでに決まっているので今さら面倒なことはいえない。
 瑞穂野団地の脇を流れる江川の河原のベンチに坐り、団地のコンクリートの建物を見ながら、「遠雷」の頃について話した。川面には鴨が十羽ほど遊んでいた。時が流れて畑地は少し薄汚れたようではあったが、二十年もたったということは信じられなかった。土地だけ分譲して家は自分で建てる臨地がまわりに増殖していたものの、風景はそれほど変わってはいない。私は夢の中にいるような気さえした。
 ディレクターにいい場所があるといわれ、ロケバスに乗って移動した。新四号バイパスを地下道で渡ったところに、さるやま団地がある。団地の真中に公園があり、そのベンチに坐って話してくれといわれた。私の家の前ではないか。こここそまさに「遠雷」と「春雷」の場所なのである。まさか自分の家にくるとは思わなかったので、鍵を持ってこなかった。庭にはいっただけで、そこを離れてきた。
 次の撮影場所は、市役所勤めの帰りに私が自転車ごと川に落ちた場所だという。石碑が立っているはずもなく、なんということもないところである。私は田んぼの中の道を通勤路としていた。深夜酔っばらって自転車をこいでいると、月と輝きあった月見草が壁のようになっていた。
あまりの美しさにふわっと吸い込まれ、月見草の壁を突き抜けると、コンクリート護岸の用水路だった。今見ると、三メートルは高さがある。だがガードレールがつくられ、落ちたくても今は落ちることができない。