良寛のことば こころと書

初版発行:2010年1月20日
発売所:株式会社考古堂書店
価 格:1,500円+税

織田信長---「信長公記」紀行

 調べてみると、時代の寵児らしい躍動が感じられ、今眺めてもまわりの人間も含めてみな躍動をつづけておもしろい。庶民の間で物語が好まれ、小説や読本になり、芝居になり、映画になり、くり返しくり返し再生された理由もよくわかる。その膨大な物語の列に私も加わろうとしたわけだが、そのために最も信頼に足るべき記録の「信長公記」に基づいて書きつづっていくことにした。もちろん私は「信長公記」だけに依ったのではなく、他の文献にもあたり、現場に取材にいき、博物館や歴史資料館にも可能なかぎり足を運んだ。
 破壊者であり建設者でもある織田信長という英雄が一瞬の光芒を放ったことは、結果として時代の必然だったと思う。結局歴史とは偶然などではなくて、必然の結果なのである。
(本文より)
初版発行:2010年2月20日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:2,200円+税

遊行日記

 ホスピスの闇の中にいる人は、たとえ同じ病気にかかっているとしても、ほんの少し前を歩いて背中を見せてくれる人に救われる。病気を治癒してそんな状態から脱出した人が最高であるが、それは望むべくもないとしたら、共通の時間を生きて、死に方を見せてくれる人であろう。それならば私にもできる可能性はある。人を救うには、自分は安全なところにいて手を伸ばしても駄目なのである。自分も同じ場所にいくのが望ましいが、同じように病気にはなれない以上、そばにいてやることである。
(本文より)
初版発行:2010年3月30日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:1,800円+税

立松和平が読む良寛さんの和歌・俳句

 後記
 良寛は自分の生涯を整理して語ったことはない。また人々を集めて説法したこともない。ただ鉢を持って人々の間をまわり、無所有の生き方でもって無言のうちに教化をしつづけた。教化というより、感化(かんか)といったほうがよいかとも思う。それは教えてやるという押しつけがましい態度ではなく、人々と同じように生き、俗塵の中で道とは何かを示してきたのである。僧としての輝きは、生まれて二百五十年近くたっても、なんら失われることはなく、ますます輝きつづけるといった具合である。
 良寛が自分のことを語ったのは、諸家に残されている数多くの墨蹟として書かれた詩歌によってである。高貴にして才能あふれる墨蹟が多くの人に珍重されてきたため、良寛のその時々の思いや事跡などが、はからずも今日に伝えられることになった。四季の変化や、草庵での暮らしぶり、その時々に何を思い何を感じたかなどが、格調ある書として残されることになったのである。自伝ではないので生涯を空白なく連続して書き残すというわけにはいかないにせよ、内面が深く表現されているため、良寛の人となりの魅力が際立つのだ。
 良寛は、和歌をはじめとし、長歌、俳句、漢詩を自在にものにした。備中国玉島円通寺での峻厳なる禅修行とともに、詩歌を自由自在に使いこなし、書を極めたのは、そもそもの教養が深かったからである。出雲崎の町名主橘屋山本家は、左大臣橘諸兄(もろえ)を家祖とあおぐ。いつはじまったのかもわからない名家である。父新左衛門は以南(いなん)の俳号を持ち、国学、和歌、俳諧諧、書画にすぐれ、良寛の弟由之も同じ血をひいている。良寛の素養は、この血筋が根本にあったのである。
 また良寛は出家前に、大森子陽(しょう)の漢学塾三蜂館(さんぽうかん)で『論語』の四書五経や『唐詩選』などの漢詩文を学んだ。また当時の知識人である僧にとつて、漢詩、和歌、茶などは必ず身につけていなければならない教養であった。
 それにしても良寛を取り囲く人々の教養の深さは、今日では想像することも困難である。良寛の庇護者たちは、阿部定珍(さだよし)にせよ、原田鵲斎(じやくさい)にせよ、また解良叔問(けらしゆくもん)にせよ、良寛を師に招き自ら五合庵にいき、雅趣に富む詩歌を詠み交わしている。また弟由之(ゆうし)とは、由之が木村家邸内に仮寓していた良寛のもとを訪れ、「良寛・由之兄弟和歌集」を残した。父以南は俳諧師としては指導的な立場にあった。弟子貞心尼にしても同様である。
 彼らの詩歌が良寛のものより著しく劣っているというのではない。むしろ括抗して良寛の作品と緊張関係を保っている。この彼らによって、良寛は精神的に、また物質的にも大いに助けられたのだ。
 良寛のいた越後国蒲原郡のあたりは、いわば日本の片田舎と言ってもよいところである。その農村地帯で、名主の階級の人々は大変な教養を持っていたということに、改めて私は驚くのである。
 彼らが乞食僧であった良寛を発見し、彼ら自身がお互いの人生を大いに楽しんで、良寛の存在を後世に伝えたのである。
 詩歌は自己の魂の奥底から湧き上がった言葉であるから、今もエネルギーを失わず生き生きと躍動していて、だから美しいのである。その美しさは永遠であるに違いない。
(二〇一〇年一月)
初版発行:2010年4月20日
発売所:株式会社二玄社
価 格:1,400円+税

初版発行:2010年6月1日
発売所:東京書籍株式会社
価 格:1,400円+税
風聞・田中正造「白い河」
 闇の中から怒りが人のかたちに凝縮して湧き上がったとでもいうように、人数は目に見えてどんどん増えていった。それとともに歌声も大きくなり、地上で渦巻いて天に昇っていくかのようである。太鼓や法螺(ほら)貝も鳴っていた。
 指揮役は各地の警備の状況を偵察した。途中、川俣で利根川を渡らねばをらをい。青年決死隊には胸に付ける徽章(きしょう)を配ってある。雲龍寺とその周辺では篝火(かがりび)もいよいよ大きくなり、喧噪(かんそう)をきわめていた。東京では、田中正造代議士が待っていてくださる。(中略)
 命の危険を感じたのか、巡査たちは死にもの狂いになった。争ううち、三名の農民が警察署内にほうり込まれた。怒った農民たちは署の玄関に殺到し、ドアも割れんばかりになったのであった。
 巡査の一人が叫んだ。
「警部長、抜剣命令を」
(本書「川俣事件」より)